そろそろ夏休みモード?

 節電の影響で大学は通常より1週間早い7月14日に終わった(授業数計15回は変えられないとのこと、9日(土)に補講を実施した)。このあと7月28日に試験監督のノルマを果たせば、秋まで大学はない。裁判所も夏休みモードで、あまり入らない。いくつか裁判の起案などしなくてはいけないが、この間を利用して、書類など整理をしなくちゃと思う。また、刑法各論の教科書執筆にもそろそろ取りかかる準備をしなくてはいけない。

 なでしこの世界ワールドカップ優勝。久々の明るいニュースをありがとう。理屈抜きに感動した。彼女たちはただサッカーが好きで好きで、ひたむきに厳しい練習と環境を耐え抜いてきたのだ。身長、筋力、伝統といったすべての面で明らかに劣っている相手にも決してひるまない。リードされても挫けない。仲間を信頼し、一生懸命にボールを追いかけ、くらいつき、そして追いつき、勝ち抜いた。素晴らしいなあと思う。たかだかスポーツではなく、スポーツを超えてその生きる姿勢に勇気をもらった人たちが多いはずだ。ひたむき、一所懸命、団結、信頼、といった、人が人たるに値する品性が、いつのまにか日本から消えていた。ことに日本の中枢から消えている。品性の高い人はもちろんいるのだが、市井の名もない人の中にかえっているような気がする。

 14年前に世間を騒がせた東電OL殺害事件。被告ネパール人はずっと否認のまま、一審無罪判決。二審が覆して無期懲役とした。証拠は同じだが、評価が異なったのだ。神は真実を知っているはずだが、人は事後に残った「証拠」から推理するだけである。そして刑訴法の最後の大原則、「疑わしきは被告人の利益に」。100人の真犯人を逃しても1人の無辜の人を出してはならぬ、と信じるか否か。神ならぬ身であることを常に裁判官は自覚しておかねばならぬ。もちろん起訴する検察、警察とてそれは同じである。権力を与えられた者は常に謙虚であらねばならぬ。権力の暴走をどう止めえるのか、それはいつの世にも変わらぬ人間社会の大問題であろうと思う。

 この事件は被害者が特異であり、マスコミによるプライバシー侵害が社会的な問題ともなった。私も国会議員になって早々、マスコミ関係者をよんだ席で質問をしたことがある。被害者と同居していた母親、妹は今どうしているのだろうかと思うときがある。こうやってまた話題になって、いやな思いをしているのではないだろうか。一方で、いったいどうやってこうした特異な生活を送る人格形成がなされたのか、精神医学的・心理学的にぜひ知りたいとの思いは消えていない。いずれにしても平成の犯罪史に残る特異な事件であった。

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