この週末、知り合いの司法修習生の訪問を受けた。彼女は今年12月に就職するが、女性の仲間のほとんどがまだ就職先が決まっていないという。昨年の合格者のうち(修習期間は1年に短縮されている)今年7月時点で就職先未定者の割合がなんと43%、昨年同期の35%よりさらに悪化しているとのこと。実に深刻な事態は、明らかな供給過剰がもたらしている。
イソ弁(勤務弁護士)の給料は大体年600万円(渉外事務所だと年1000万円を出す所もある)と思っていたのだが、昨今のアンケートでは年400万円程度に落ちている。せっかく資格を持ちながら大企業に勤めるほうがよほど条件が良いのだ。それでも給料を出してもらえるのであればよいほう、給料は出せないからとノキ弁(場所だけ(軒)を貸してもらう)、ドク弁(最初から自宅などで独立する)、携弁(携帯電話だけで仕事をする)といった言葉まで出てきて久しい。大学時代に人よりはずっと勉強をしてロースクールに入って2年、この間遊びもアルバイトもせずにようやく難関の司法試験に合格して1年、その結果がこれではまったくもって救われない。
ロースクール実施後の新司法試験には受験回数制限が設けられている。卒業後5年以内に3回まで。それで不合格だと永遠にアウトとなる。合格率はトップ一橋大ですら57.7%。50%を上回るのは続く京大、東大まで(ちなみに私の母校神戸大は46.6%、5位。4位は慶応大)。平均すれば23.54%、4人に1人しか合格しない狭き門である。もともと入って卒業さえすれば7割方司法試験に合格するとの触れ込みでロースクールは始められた(私が導入に大反対したことは、国会議員時代のブログにも書いたはずだ)。その前提として、合格者を年3000人まで増やすとのふれこみがあった。入れば受かるのであればと会社をやめてまでロースクールに入った人も多かった。量を増やす以上質を確保しなければと始めた日本版ロースクール。大学に法学部がない本家本元の英米とは違い、法学部を残したまま、屋上屋を重ねる形であった。法律ばかり勉強するのは実際とてもよくないことである。
企業内弁護士(サラリーマン弁護士)を増やしたいからという、経済界の安易な希望で始められた法曹人口拡大。しかし日本にはもともとそこまでの需要はない。企業内弁護士自体まるで増えない。需要の試算すらなく、アバウトに始められた「3000人」。そして現実に起きている弁護士の余剰。合格者は2000人で止ったまま、この数ですら多すぎるのである。もちろんホームレスにも貧困者にも弁護士は必要である。それは疑いがないが、だが食べていけなければ志の高い仕事はできない。足元が不安でいてもできる仕事ではないのである。合格者は減らさなければならないはずだ。とともに今やもうほとんど合格者の出ていないようなロースクールは淘汰されていく。
この問題は弁護士一般に対する社会の信用をがた落ちにさせたと思う。弁護士は医者と同様、資格を持ってスタートしたからといって、すぐに使えるような職種ではない。一人前になるにはさらに修練が必要だ。ノキ弁以下は、誰からも教えを受けられないこととなる。自己流の裁判、事件処理ほど怖いものはない。そのリスクは依頼者が背負う。一体そもそも何のための法曹人口拡大だったのか。根元を正してほしい。