この夏は異様に暑く、加えて「これまでに経験したことのない」集中豪雨や竜巻まであったが、いつの間にかもう9月。皮肉なもので、となると行ってしまった夏がなんとなく恋しい気分でもある。
さて来し方をつらつら振り返るに、たくさんの出会いの中で親しくなり、その関係が長く続くのは極めて稀なことであったと思う。いっときとても親しかったのに疎遠になった人たちを思い浮かべると、生き方や考え方を尊敬できなくなった、価値観が違うと感じたことが背景にあったと思う。そもそもが相手を見誤っていた場合もあれば、互いの変化でだんだん合わなくなった場合もある。人間関係は時間、お金、エネルギーすべてを使うから、尊敬できず価値観も共有できない人と付き合うのは人生の大きな無駄であり、若いうちはともかく、残された人生が限られてくるととてもできなくなってくる。
仕事柄離婚事件をよく扱うが、結婚といっても何も特別なことはなく、究極は人間関係である。愛情や、まして若い頃の情熱などなくなっても、互いに人間として尊敬でき、価値観が共有できれば、関係を維持しあるいは離婚をするにしてもそれほどの苦労はないはずである。対して財産を分けるにすぎない遺産分割にしても、もともと近親者間の事象なので、結局のところは互いの人間関係に帰するように思われる。人生に勝ち負けなどないとは思うが、強いていえば、人間関係がうまくいったものが勝者であり、でなかったものが敗者ではないか。物であればお金を出しさえすれば買えるが、いくら金を出しても買えない、かつ自分にもそれ相応の値打ちがなければ維持できない、それが人間関係であり、だからこそ貴重な財産であると思う。
縁あって出会い、その後ずっと親しい関係を築いている人たちを思うと、互いに金銭感覚が合っていると思い当たる。もちろん浪費家ではなく、ケチでもない。ケチでないというのは、人との付き合いに適正な額のお金と気を使える人であることを意味する。自分で誘った以上自分で払う、払ってもらったら次はお返しをする、何かの折にお礼やプレゼントをする…そうしたちょっとしたやりとりで人間関係は続いていく。とても簡単なことだと思うが、周りを見るにすごくケチな人がいる。それも少なくはないかなりの数である。気分が悪いので付き合わないが、きっと友達がいないだろうなと思う。友達や付き合いよりもお金が大事…そういう人たちの価値観は人より金にある。つまりそもそもが価値観の共有ができない人なので友達にはなれない。
金銭感覚が真っ当というだけで、その人はたぶん、真っ当な人である。林先生が、躾けとは姿勢を良くすることだと端的に言い切ったように、人間を見るとはその金銭感覚を見ることだと言ってもよいのではと思う。姿勢も金銭感覚も、育むのは家庭である。家庭の役割は大きい。