まずは尊き命が,こんなにも無残な形で奪われたことに,謹んで哀悼の意を表したいと思う。安全な自宅に戻り,警察からの電話に無事である旨を報告した矢先,事件は起こった。男は無施錠の2階から侵入してクローゼットに潜み,確固たる殺意をもって凶器を携え,彼女を待っていたのである。
男が飛び出してくる。殺される‥‥!刺され,逃げ惑う。こうした事件が起こる度に思うことは,その刹那に味わう被害者の苦痛,恐怖,無念さである。どんなにか怖かったであろう。無念であったことだろう。掌中の玉の娘をこのような形で奪われて,親御さんも気の毒で仕方がない。この先死ぬまで事件が頭を去ることはないであろう。おまけに自宅で起こったとあっては自宅にいることさえ苦痛である。
犯人の親もまた気の毒である。時間を巻き戻せるのであれば身を張ってでも止めたかったとのコメントに接したが,自分が身代わりになってでも被害者を救いたかった(そして息子を救いたかった)というのは正直な気持ちであろう。この事件は,どうすれば防ぐことができたのだろう。警察が彼に電話をかけたことが引き金になったとの報道もあるが,では警察がどうしておけばこの事件は防げたのか。自宅の2階が無施錠であり,そこから忍び込んでいるなどは想定外のはずだ。ストーカー規制法で出来ることは警告を発することであり,従わない場合に禁止命令を出すことである。これに従わない場合に刑事罰となる(1年以下の懲役又は100万円以下の罰金と軽いのだが)。もちろんまだ事件も起こされない段階で身柄の拘束はできない(もし許されれば反対に人権侵害である)。
警察は再発防止のために事件を検証をするとのこと,それは大いにやってもらいたいと思う。だが,警察の対応こそが悪かったといった考え方は,ちょっと違うのではないかと思う(この事件に限らず,例えばひとえに学校が悪いといった報道にはよく接する)。事件を起こすのはあくまで加害者である。それが相手に真剣に殺意を抱いているのであれば止めるのは容易な話ではない。警告も禁止命令も刑罰も怖くないとなれば法律はまずもって意味をなさない(死刑すら怖くない人だっているのだ)。となれば結局は,常に身辺警護をつける以外に手はないだろうが,いつまでやれば安全になるか否かは,相手のあることなので分からない。少なくともそれが税金で賄われるべき話でないことは明らかと思われる。
つまるところ,法が取り締まる恋愛感情がもたらすストーカー行為というのは,そもそも個人の恋愛関係から始まったものである。これを継続するのも終焉させるのも個人である。つまり,始めた以上当事者にこそ責任があるのであって,別れたいのであればうまく別れなければならない。それが難しい人も中にはいるが,だからこそ付き合う時には相手の人柄を見極めて付き合わなければならないのである。
2人はフェイスブックで知り合ったという。それが今回の事件の何よりもの衝撃だった(ストーカーによる殺人事件は以前から存在した)。しかし,学校や職場で始まった交際と違い,この種交際には共通の知人友人が皆無である。相手の真の人間性も分からなければ,別れ話がもめたときに盾になってくれる人もいない。そんな交際でさえ危険な事態は起こりうるのに,ましてこの種交際はもともとが非常に危険なのである。数年前にも千葉のほうで大きなストーカー殺人事件があり,ネットで知り合って同棲していたと聞き,さもありなんと思ったものである。
今回の被害者は未成年,それもまだ勉強に勤しむべき高校生であったのに,おそらくは法定代理人である親もまったく預かり知らないところで,たぶん気軽に始めたのであろう。結構いい所の家であり,将来に希望をもって勉強している女性ですら,こんなことをやっているのである。どこまでこの種事態に社会は染まっているのだろう。ここ数年で急速に広まったネット社会。便利さと裏腹にネットが抱える危険性を,世の中の親なり子供なりによく考えて貰わなければならない。それこそがこの事件の教訓であるように私には思われてならない。