PCの遠隔操作により威力業務妨害をしたなどの罪で逮捕・起訴された片山被告。警察はその前に別人を逮捕したのだが,その別人は厳しい取調べを受けて虚偽の自白をさせられていた事実も明るみになり,威信をかけて「真犯人」を逮捕したとされる。逮捕された片山被告は徹底的に否認,自らもまた遠隔操作されていたのだと言い張ってきた。
実際彼を犯人だとする直接的な証拠はなく,検察はなかなか起訴に踏み切れず,起訴後は公判前整理手続が長引き(裁判員裁判では必ず行うが,それ以外でも面倒な事件では行っている。この間保釈は認めないのが実務上問題とされる),それがようやく終わって公判が始まり,あまりに拘束が長引いているので否認のまま保釈が認められた。このまま公判が推移して最後,有罪か無罪,いずれかの判断が裁判所から下されるはずであった。しかし…
なんだか漫画みたいである。まさに事実は小説より奇なりというのか。保釈中の片山被告は,「真犯人」になりすまして,弁護士やマスコミ宛におちょくるようなメールを送りつける。ちょうど自分が裁判に行っている時を狙って送ったので,ほらこの通り真犯人は別にいるでしょ,自分にはこのメールは物理的に打てないのだから,というわけだ。しかし彼は警察に見張られていて,砂浜に埋めた件のスマホが発見される,タイマーを使えば時間差も可能だという。徹底的に抗戦するのかと思ったら,片山被告,自殺しようとして果たせず,自ら真犯人ですとこの期に及んでようやく自白した。策士策に溺れるというのか,深層心理では自白したがっていたのか,そこら辺りはよく分からない。精神分析は面白いだろうが,世の中にはおかしな人はごまんといて,その精神がすべて分かるわけではないし,分かる必要もないと思っている。
今回の事件で大いに関心を持つのは別のところにある。片山被告の弁護士である。この弁護士は別の冤罪事件(幼女殺害)で長い闘争の末に晴れて再審無罪を勝ち得たことにより一躍勇名を馳せた。報道されたところによると,お金のない被告のために自宅まで提供し,心身共にまさに入れあげて勝ち得た再審無罪であった。しかし私には違和感がつきまとっていた。そこまで一体となっていいのか。弁護士は当事者の身内ではない,一定の距離感を持たなければいけないし,持ちえてこそ弁護士なのだと。
今回も同じ乗りを感じて不快であった。彼は,片山被告は冤罪だ(ちなみに冤罪と無罪は違う。冤罪は実体的にやっていないことであり,無罪は有罪の確信に足るだけの証拠がないということである)と前面に出て何度も主張,捜査側との対決姿勢を明らかにしていた。そして今回の結果である。被疑者が否認したいのであればそれに則って進めていくのももちろん弁護士の職務である。だがそれが実体としてはどうなのか,客観的な立場は常に保持してこそ,社会正義を担う弁護士なのではないか。あるいは片山被告は認めたくなったけれど,弁護士の信頼?が重すぎたのかもしれない。結果,今回脅迫容疑という別罪までついてきてしまった。弁護士の職責について考えされる事件でなかろうか。
法科大学院がいくつか陶太されたうえに,定員割れを起こしている。平成26年度入学定員3809人のところに入学者数2272人(60%弱)。同16年度には5590人に対して5767人あったものが,である。片や合格すれば法科大学院を修了しなくても司法試験の受験資格を得られる予備試験が3年前から導入されたのだが,こちらの出願者は今年度ついに1万人を超えて12600人。この予備試験は狭き門で合格率は極めて低いのだが,合格者の司法試験合格率は70%を超え,どの法科大学院の合格率より高い。予備試験合格組であることが一種のステータスになってきたのである。まさに法科大学院は危機的状況にある。つまりは法曹養成システムをどうするかの抜本的問題なのである。