下校途中の女児(小1)の遺体が山中から発見されたのはもう8年半前になる。10カ所以上めった刺しの惨殺死体で,血液はまったくない状態だったという。殺されるまでにどれほどの恐怖を味わったことか,ご両親の苦悩はどれほどのものか,想像すらつかない。
この種事件の犯人は絞られる。いわゆるプロファイリングだ。小児性愛者で快楽殺人者の男性,かつ土地鑑のある者。不審な白い車(傷あり)が目撃されていて,この容疑者も事件当初から怪しいとして名前が挙がっていたという。しかし警察は踏み込めず,そのうちに犯行の用に供した証拠物件となるその白い車は売却されていた。凶器も未だに見つからない。死体遺棄については公訴時効(3年)はすでに完成し,殺人事件については平成22年以降公訴時効が撤廃されたものの(改正前25年。その以前もっとずっと長く15年だった),捜査は早くやるに越したことはない。でないと証拠も逸失して真犯人検挙に至らないうえ,付近住民も不安な毎日を過ごすことになる。
報道によれば容疑者は別件(商標法違反)で逮捕され,任意に自白をしたのだという。パソコンからは被害女児の写真が復元された(削除をしてもデータが復元できる技術は非常に進んでいる)。栃木県警は今回自信をもって逮捕に踏み切ったという。その裏には,同じく栃木県警が捜査をして冤罪事件となった「足利事件」の教訓があったことは想像に難くない。未だ完全ではなかったDNA鑑定の結果に依拠して,別人を捕まえてしまい,再審無罪を招いた悪名高い事件である。
同じ轍を踏まないよう,慎重のうえに慎重を期した結果が捜査の大幅な遅延を招いたといえるのではないか。もし今回容疑者が自白をしなければ…?あるいは捕まるということがなければ…?この事件は永久に迷宮入りだったのかもしれないのである。科学捜査はとても有益だが,科学捜査のなかった時代に長く人々は捜査をし,誤りのない犯人を検挙していたのだ。自らの足と目と頭を駆使して一つ一つ星を潰し,また挙げていく捜査。科学は決して万能ではないことを,人間と社会正義に携わる人たちはことに肝に銘じなければならないと改めて思わされた。