まったくもう,みっともない。というのが率直な感想だ。少子化問題について質問していた女性都議(みんなの党所属)35歳に対し,自民党議員らから「早く結婚しろよ」「自分が産めよ」「産めないのか」といったヤジが飛んだという話である。これが公になったのは女性都議が訴え出たからであって,でなければ闇に葬られたはずだ。つまり,ヤジ議員らに言わせれば「なんと運が悪い」。
国会議員になっていろいろ驚くことはあったが,うち一つがヤジだった。怒号と言ってもいい。それで質問も答弁も聞こえなくなると,議長・委員長が「静粛に」と命じる。静粛な法廷にしか縁がなく「どうして黙って人の言うことを聞いてられないの」と言うと,先輩議員いわく「だって黙ってたら退屈で寝てしまうじゃないの(笑)」。寝ている人も事実多かった。法廷では当事者は(陪席裁判官はともかく)寝てはいられない。国会では結局のところそれほど大事なことがなされていないということでもあるのだろう。なのでつい笑いを誘うようなヤジならよいのだが,品の悪いヤジがずいぶん多かった。
今回の都議たちもいつもの乗りでヤジっていたのだろうと思う。品が悪いなと感じた人は結構いたと思うが,誰一人これほどの大事になるとは思わなかったと思うのだ。実際,当の都議会の反応は鈍く,「早く結婚しろよ」とだけは野次った旨名乗り出た一人を除けば,誰が何を言ったのかあるいは言ってはいないのか明らかにならないまま終結した感がある。国内よりむしろ海外での反応が大きかった。どの国でも議員がこんなことを言うことはないし,もし言えば辞職は確実と思われる。今はどの国であれ(イスラムの一部の国を例外として)性差別や人種差別に敏感だ。民間ですらあまねくそうなのだから,市民や国民の代表である公人はどれほど敏感であったとしても敏感でありすぎることはない。
今回の事件が明らかにしたのは,日本の公人に残念ながらその自覚がなく,そういう人が公人に選ばれているという実態である。言葉というのは,教養を柱とする人格の如実な現れだから,たまたま失言をしたので謝罪をするといった問題ではない。都議ではなく国会議員や大臣にしても,やれ(福島に関して)「結局は金目でしょ」とか,(集団的自衛権に関して)「勉強が出来ず喧嘩も弱い金持ちがいちばんいじめられる」とか言っている。これらはすべて人格の発露なのだ。そういう人を選んでしまっている(だから国際的にも日本の格を貶め国民の恥辱となる),またそういう人が選ばれる選挙制度が問題なのだという根本的問題が露呈されたと感じている。事は単に性差別のヤジの問題に止まることなく,相当に根が深い。