中高の同窓会に出席して

少し涼しくなって一気に同窓会シーズン(?)である。9月14日(土)は西明石で明石高校の学年同窓会、続く20日(日)は神戸で神戸大学附属明石中学の学年同窓会に出席してきた。どちらも日帰りで慌ただしかったが、旧交を温められて本当に良かったと思っている。

明石高校は45人クラス10組だったが、うち150人位の出席者があって実に盛大だった。先生方も数名参加して下さった。一方、中学は3クラスで、うち50人位の参加があった。先生は一人だが、今住んでおられる前橋からはるばる来て下さったことになる。当時はよく知らなかったり、また学校を出てから何の付き合いもなくても、会えばあらあ元気?!と話せるのが同級生の良さだとつくづく思う。その根源は同じ時代を多感な時期に共有したという懐かしさなのであろう。

中学で最も印象に残る教師は藤田清子先生とおっしゃった。白髪頭の小柄な、まるでしゃれっ気のないおばあさんだったが(でも今思えばまだ50代だったのかもしれない)、文学博士で京大からの誘いを断って中学で教えているという噂であった。放課後、さらに勉強したい人は独自に勉強できるように、あの頃出始めのOHPを使って様々な詩などを学ばせてもらった。あの頃に暗記した詩は今も綺麗に暗唱できる。先生の思い出話といえば、藤田先生の話が一番多く出た。心より感謝している。

私の家は特に教育に熱心だったわけではなく、近くの公立学校で十分という考えだったから、私が附属中学に入ったのは偶然の賜物である。当時親が明石の分譲地を買い、中学1年夏に神戸市垂水区から明石に引っ越すことが決まっていた。となると、せっかく入った垂水中学からの転校は必至なのでそれは可哀想ということになったのだ。小学校の担任は神戸女学院中学受験を勧めたが、場所が遠いし、そんなお嬢様学校(私服である!)に通う金銭的な余裕もないということで、近くの附属明石中学になった。垂水小学校から私ともう1人が受験し、2人とも合格した。

国語力が私にいささかでもあるとすれば、ひとえに藤田先生のお陰である。とにかく本を読めと言われ、中学1年の時には世界名著を浴びるほど読んだ。後にも先にもあんなに本を読んだことはない(司法試験のために法律を勉強した時を別とすれば)。それと、この中学には感謝していることがもう一つある。

附属中学は実験校なので、数学の時間、1年次に集合、2年次に推論が教えられた。木村先生という若い男の先生だった。もちろん正規の教科書外である。はっきり言って、さっぱりわからなかった。試験は60点とか70点とか悲惨なもので、回りと比べるとさしてひどくはなかったが、中に100点を取ったのがいた(彼は後に東大数学科に進んだ)。私たちをモルモットにして、その後数学の授業に集合、推論は盛り込まれるようになったらしいのだが、この経験で明瞭に分かったことは、自分には数学の才能はないということであった。

県立高校に進んだとたん、数学のテストはまさかの100点の連発で、クラスでトップになった。数学の女性教師から「数学科に進んだら」と言われたのをはっきり断ることができたのは、もちろん中学での原体験故である。もし私が普通の中学に行っていたら、それを真に受け数学に進んでいたかもしれない(当時理系は恰好よかったのである)。もしそうしていたら職業としては教師しかなかったであろう。少なくとも法学部に行って法律家になる、という選択は限りなくゼロであった。この事実を私はよく思うことがある。運命とか宿命とかいうけれど、人間の進路なんて、ほんのちょっとしたことで変わってしまうものである。

大学の同窓会はよくあるので、あと一つ、私が心から願っているのは垂水小学校の同窓会である。附属中学とはまるで違い、いろいろな子供たちがいて、いろいろな家庭があった。社会の構図を見たということでは、得難い経験をさせてもらったと思っている。世話人が誰かいないと同窓会は成り立たない。垂水に残っているどなたか、ぜひ実現させてください!

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