昨夜衝撃的なニュースが流れた。佐世保事件容疑少女の父親が夕方、家で首をつっているのを、訪ねてきた知人が見つけたという。自殺、まさか。ありえない。なんという無責任さ! 第三者ですらそう思うくらいだから、当の被害者遺族の気持ちを思うとやりきれない。この後はいったい誰に、やり場のない怒りをぶつければよいのか。母親はすでにない。後妻では立場が違う。祖父母では遠すぎる。まさか容疑者の兄でもありえない。遺族にとっては追い打ち、まさに二重の被害である。
今、容疑者は精神障害の有無・程度を調べるために精神病院に鑑定留置されている。鑑定では本人だけではなく、家族の調べも行う。素質と環境、どれをとっても親ほど大切な証拠資料はない。それが一瞬にして失われた。裁判所の嘱託を受けた鑑定医にとっても、鑑定結果を受けてこの後審判を行う家庭裁判所にとっても(その結果逆送になれば、起訴をし求刑を決める検察官にとっても、審理をする地方裁判所にとっても)、取り返しのつかないロスである。そのことを、弁護士たるもの、当然に分かっていたはずである。娘が犯した罪は元には戻らぬが、せめて親たるもの、自らが出来うる最大限のことをするのが人間としての務めである。
事件後、遺族との間では、互いの弁護士を通して損害賠償の話が進められていたと聞いていた。賠償の形がある程度できれば、娘の審判には有利に働く。しかし、肝心の父親亡き後誰がその当事者になるのか。容疑者はこの2月、祖母(父の母)と養子縁組をしていたから、祖母か。父親に発生する損害賠償債務は相続されるので、相続人との間で行うことになるのか。法定相続人は後妻と子供(後妻が現在懐胎中で後に出産すればその子にも相続権はある)。妻半分、残り半分を子供の頭数で分ける。もちろん容疑少女に直接賠償を求めることも可能であり(責任能力なしとの鑑定結果にはならないと思う)、遺産の額によってはもちろん支払能力はあるであろう(養母である祖母の遺産も子として取得することになる)。
しかし何より、この父親は、親として絶対しなければならない子供の養育・監督を放棄したのである。容疑少女にはこの後更生の問題がついて回る。それを一体誰が担うというのか。東京にいる兄をもまた、完全に天涯孤独の身に追いやった。後妻については、前妻の喪も明けないうちにしゃあしゃあと家に乗り込んできて自業自得だと思うが、生まれてくる子供は別である(生まれてくるのかどうか、あるいはすでに生まれているのか分からないのだが)。
さっさとこの世からおさらばすれば、自分は楽である。しかし人間たるもの、遺される者のことなどを考えれば、そう簡単には死ねないものである。検事時代、凶悪事犯を起こした親が裁判所に情状証人として出頭し、ひたすら頭を下げていたのを思い出す。当然だと思っていたが、あの人たちは、世間の冷たい目の中で、それでも親の務めを果たしていたのだと改めて思う気持ちになっている。神戸のあの少年Aの両親は、息子が少年院を退院後、一緒に暮らしていたと聞く。親以外の一体誰が、親身になって子の面倒を見ることができるだろう。
この3月2日深夜、少女は、ベランダ伝いに父親の部屋に押し入り、金属バットで就寝中の父親を殴り、怪我を負わせた。この時に父親が被害届を出してさえいれば、彼女はその時点で刑事司法ルートに乗り、今回の事件は起きなかったのである。被害届を出さなかった理由は、少女のためというより、自らの世間体であったと思う。前にも書いたが、この事件については、もっと早くに手を打っていれば防げたということがいくつもある。「もしたら」事実は、なおいっそう、被害者遺族を苦しめる。
昨今これまでにないほど自然が凶暴になっていて、大規模災害による死亡者のニュースがたびたび流される。気の毒だと心から思うが、恨む対象はない。自然は恨めない。運が悪かった。結局はそう思って諦めるしかないのは、人災、ことに不条理な犯罪死とは対照的だと感じる。この事件は衝撃的なことが多すぎる。