なんともひどい事件が続きます

和歌山で小学5年生の男児が,近所の男に惨殺された。22才無職,父親は大学教授だという。加害者と被害者との間に深刻なトラブルなどあろうはずもなく,本人は犯行を否認しているし,動機は不明である。このままおそらく(私たちが納得するような意味においては)決して明らかにはならないと思われる。ご遺族には慰めの言葉もない。

その前,名古屋大学生19才女性が「人を殺してみたかった」と,近所の知人女性を殺害するという事件を起こしたばかりだ。この大学生は,高校時にはタリウム(殺鼠剤なので容易に入手可能らしい)を使って同級生男子を失明させる事件も起こしているという。そう,佐世保事件に限りなく似ている。未成年女性,頭は良い,そして人を殺害することへの限りない興味…。

佐世保事件犯人は4か月の鑑定留置の後,現在は家庭裁判所で観護措置中である(少年鑑別所にいる)。それが終わって初めて,家裁が「刑事処分相当」か「少年院送致」かの決定を下す。前者になって初めて,事件は検察庁に戻され(「逆送」という),起訴をされて公開の法廷で審理されることになる。もちろん裁判員裁判だ。犯時18才未満なのでそもそも死刑の適用はありえず,もし彼女が仮に成人だとしても「相場」としては,被害者は一人なので無期懲役でもない。少年なので「懲役10年以上15年以下」が最も重い刑罰となる。遺族にとってはとても耐えがたいほどの軽い刑罰だと思われる。しかも犯時16才未満であったので,逆送ではなく医療少年院送致になる可能性も高いと思われるのだ。この点名古屋の場合は少年とはいえ19才だから,おそらくは逆送となるであろう。でもやはり被害者は一人なので有期懲役にしかならない可能性が高い。

これらは特異な事件である。普通の人間は動機なくして罪は犯さない。ましてや,よほどの怨恨か男女関係のトラブルか何かなければ,人は殺せない。なぜ,動機も妄想もなくして人を殺害できるのか。それは殺害が「快楽」だからである。快楽殺人の例は欧米には多いが,日本でも宮崎勤事件その他,結構ある。

快楽,というのは犯罪を考えるうえで実はキーワードでもある。そもそもなぜ盗み癖が治らないのか。ジャンバルジャンは生きるためにパンを盗んだが,今,そんなことをしないと生きていけない人などいない。であるのになぜ盗むのか,と考えるとき,それが簡単に稼げる手段だからという人も多いだろうが,単に快楽だからという場合も多い。ギャンブル依存が,買い物依存が,薬物依存が,あるいはアルコール依存がなぜ治らないか,治すのが難しいか,それらが彼らにとっての快楽だからと考えれば,すこんと腑に落ちることがある。人間は自分が楽しいことをしたいものである。勉強をする人は努力家であるという以前にきっと勉強するのが好きであり楽しいのである。

盗み癖のある人に対して精神療法で向き合う試みが今ようやく生まれているという。薬物についても刑務所に入れるだけでは再犯を防ぐことはできない(そのため,刑の一部の執行猶予という制度が出来もした)。犯罪予防には,社会政策や経済政策はもちろん,医学的見地も非常に大事なことなのである。快楽殺人は,反社会性人格障害者,すなわちサイコパスだと思われる。統合失調症のような病気ではなく,異常なのである。何がどう異常なのか,その解明が出来ればよいのだが,古代からある統合失調症ですら未だに解明が出来ないことを見ても分かるように,脳の分野は医学の中でも最も遅れている分野といえる。その進歩がとても待たれる。

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