まあとにかく興奮した千秋楽だった。3敗の照ノ富士は碧山(大関豪栄道の休場により)に完勝、結び白鵬対日馬富士を前に、場内は盛りに盛り上がる。もちろん声援は圧倒的に日馬富士だ。勝てば照ノ富士の初優勝(そして大関昇進)が決まる。同じ伊勢ヶ浜部屋の兄弟子として、日馬富士としては照ノ富士を是非とも援護射撃したい(先場所は失敗)。白鵬に押し込まれたが、蛙跳びをして(なんという身体能力の高さ!)中腰になり白鵬の中に入る。双差しから危なげなく寄り切る。まさに興奮と歓声の渦。後頭部が痛いと思ったら、後ろの枡席から座布団が飛んできたのだった。あちこちに座布団が舞う。金星の光景だ…仮にも横綱が横綱を破って、これはないだろう(笑)。でも、気持ちはよく分かる。
照ノ富士、23歳。白鵬の父親に柔道を習い、素質を認められて日本に留学。鳥取城北高校では逸ノ城と一緒(ちなみに石浦監督の子息が今十両にいる)。191センチ、178キロ。十両を一場所で通過した頃には将来の横綱との声がすでに高かった。足腰が極めて強く安定し、かつ上半身は柔軟で、肉体的な弱点がほとんど見当たらない。昨年春場所に入幕してから1年間、期待ほどには成績は上がらず、後から入幕した逸ノ城に話題をさらわれた時期もあったが、新関脇の先場所、急に力をつけた。白鵬を正攻法で破って、準優勝(13勝)。今場所も12勝(負けたのは佐田の海、徳勝龍、白鵬。稀勢の里と琴奨菊には完勝)。
すでに力は現大関3人より上であろうと思う。琴奨菊は今場所負け越し(6勝)、カド番の来場所で負け越せば、関脇に転落する。若手が力をつけているので勝ち越しは難しく、となれば引退するのではないか。豪栄道も昨年大関に昇進したはよいけれど、勝ち越しがやっとこさの状態だ。もちろん大関たるもの、二桁勝利して優勝争いに絡むべき責任がある。もっとも、彼ら以上に責任を果たしていないのは、2場所続けて休場した横綱鶴竜である(もし大関のままだったら、来場所の番付は関脇以下となる。なので無理にでも出場していたはずである)。もともと実力が伴って横綱になったわけでもなく、実際昇進後、優勝はおろか、かろうじて二桁勝利がやっとの状態だ。照ノ富士ら若手が急に台頭してきた中ではいよいよ優勝は難しく、これまたそのうちに引退になりそうな気がする。横綱昇進後優勝が一度もない前例は3度あるという。その最長で10場所。実力の世界は誠に厳しい。
さて、問題の白鵬。アンチ白鵬が多いのは、一つには、長い長い一強時代にうんざりしていることがもちろんある。それを加速させているのが、白鵬の態度の悪さである。7日目の対佐田の海での張り差しかち上げはこの目で現認したが、12日目、豪栄道の首投げに敗れた後は土俵に立ったまま礼もしなかったという。行司軍配にも、それに物言いがつかなかったことにも不服だったのだろうが、だとしてもそれをそのまま態度に表すなど大人げなさすぎて、恥ずかしすぎる。14日目、稀勢の里に土俵際で逆転の引き落としに屈したときは、軽く頭だけは下げたが、不服そうな態度が画面を通してもありありと窺えた。毅然とした態度がみじんも見えず、それがまた横綱だというのだからなおさら始末が悪い。
審判に異を唱えないことは、そして敗者が潔く負けを認め勝者を称えることは、スポーツマンシップの根幹であると思う。たちが悪いのは、言葉では双葉山や大鵬を讃えながら、態度がそれを完全に裏切っていることである。無限実行や有言実行ではなく、有言不実行。これではまだ朝青龍のほうがかわいかった。そう感じるからこそ観衆の気持ちは白鵬から離れていく。せっかく実力抜群の稀代の横綱であり、誰にも破ることのできない輝かしい記録を数々と打ち立てたのに、日本の相撲界にとっても、なんとも残念だとしかいいようがない。
遠藤は6勝9敗。意地を通したように出続けていたが、途中からだんだんと調子が上がってきた。おそらくは膝の完全な断裂ではなく損傷止まりであったのだろう。最後の頃は実に万全の寄り切り、そして、やくみつるのいう「遠藤ペンタゴン」の形。四股の美しさ、相撲の美しさという点では遠藤の右に出るものはいないと改めて思わされる。体を治して、次回も美しい相撲を見せてくれることを願っている。内村航平の目指す「美しい体操」。相撲は相手のある競技だから、美しさが強さにつながるわけではないにしろ、遠藤には遠藤の相撲を通していってほしいと思う。それが願わくば実績に結びつけば、相撲界にとってもこれ以上の幸せはない。