最近、ありえないことがよく起こるような気がする。小型操縦機が民家に墜落し、その住人が亡くなった昨日の事故もそうである。普通に平穏に暮らしている市民が、思わぬ形で事故や事件の巻き添えを食う。気の毒であるとともに、今日生きていることに改めて感謝をせねばと思う。
夏の大相撲名古屋場所を、今や自他共に認めるスージョの私は、可能な限りテレビ観戦した。注目は、先場所関脇で初優勝した新大関照ノ富士。今場所は、自ら白鵬を破って(先場所は敗れ、同部屋の日馬富士が白鵬を破る援護射撃によって賜杯をものにした感がある)自力で優勝できるかと期待していたのだが、そこまでの地力はまだなかった。白鵬ばかりか鶴竜に敗れ、豪栄道・琴奨菊にも敗れて、4敗。まあそれでも4大関中最高の成績であり、格下には負けていないので、立派なものだ。誰とは言わないが、平幕に敗れる大関がごろごろいて、これじゃ番付の意味をなしていないと苦言を呈したくなるというものである。
今場所の収穫は、鶴竜の見せた長足の進歩であった。2場所連続の休場。失礼ながら、その前も強い横綱とはとうてい言えなかったから、今回戻ってきても惨憺たる成績で、そのまま引退なんてことにならなけりゃいいがと思っていた。ところが、あにはからんや、別人の鶴竜である。かつては、叩きや引きが多く、回り込んで土俵際で逆転したり、ひどいときには横綱なのに立ち合いの変化で勝ったりしていたのに(これを両国で目撃した時はまさにブーイングの嵐だった)、今場所は前に攻める相撲でまさに横綱相撲。この間に彼がどれほどの努力をしてきたかを物語るものであった。千秋楽の横綱対決が優勝決定戦であるのは大相撲本来の姿である。鶴竜は感情を表に出さない、知的で物静かな紳士というイメージがある。今度もなお一層の精進をして、白鵬に勝ち、是非優勝をしてほしいと思う。
結果は、白鵬35度目の優勝。しかも14勝(栃煌山の叩きに負けただけ)という立派な成績である。その中には逸ノ城戦での「ダメ押し」(というより、確実に勝負はついていたので、ただの暴行である)など嫌な面は相変わらずあるものの、悔しかったら勝ってみろ、であろう。死角のない相撲、怪我をしない体、勝負にかける執念、そのどれもが他の追随を許さない。白鵬がいなければ、優勝ラインは確実に落ち(準優勝の鶴竜で12勝だ)、相撲のレベルはそれだけ落ちる。ウィンブルドンが国際化し、イギリス選手の優勝は遠のいたが、世界に誇る国際試合になっていることを思えば、相撲も国際化してレベルが上がったことをよしとしなければならないのであろう。ただ、そうはいっても日本の国技なので、その礼儀作法をどう教えていくか。それは協会や、すっかり鳴りを潜めている横審に考えて貰わねばならないことであろう。
通勤途上にある永田町がすっかり静かである。安保法案が参院に回った中、内閣の支持率は大きく下がり、またそれを受けてようやく新国立競技場のザハ案が白紙撤回された。そもそも彼女のデザインは奇想天外で建設費が何倍にも嵩むとの国際的評価があるにかかわらず、その採算もなく、決定がなされたという経緯もただ恐ろしい。無駄な既支出が58億円!誰がどう責任を取るのかも分からない、呆れるばかりの無責任体制が、世界のメディアにもずいぶん取り上げられているという。これもまた、ありえない話である。