雨が続く。当ブログのアクセス数は3日1500、4日3500。増加の理由の1つに、4日、東京高裁で上記判決が出されたことがあったようだ。私がこの事件に関して今年1月7日に記した内容が分かりやすいとのツイッターの書き込みが多数あったうえ(と知らせてくれた友人がいる)、実際メールで感想を送ってきた人も数人いたので、その反響の大きさが分かった。そう、実に衝撃的な事件である。
高裁は、一審地裁とは違い、母親の指示(強盗殺人の共謀)を認めながら(息子から祖父母を殺してキャッシュカードなどを強奪してきた旨告げられても驚かず、それどころか更なる強奪を指示したのだ)、刑を下げなかった。母親は本件を強盗として起訴され懲役4年6月の刑が確定済みなので一事不再理が働き、もはや強盗殺人で起訴されることはない。あとはこの少年の刑をどうするかの問題である(高裁なのでもはや裁判員裁判ではない)。
改めて六法で確かめた。強盗殺人の法定刑は「死刑又は無期懲役」(刑法240条後段)。当然、選択は無期懲役だ。被害者は、複数だが他人ではなく身内なので、母親が起訴されていたとしても無期懲役でしかない。二人には法律上の減軽事由(未遂、心神耗弱、過剰防衛、自首など)はないが、ひとり少年には酌むべき事情が多々あるので酌量減軽はでき、処断刑は「7年以上の有期懲役」となる(刑法71条、68条2号)。つまり、少年がもし20歳に達していたとしても、本件はこの程度の刑でしかないのである。
少年法が加われば、成人の場合より刑は軽くなる。つまり、この範囲で不定期刑を科すので(同法52条1項)おそらくは「5年以上10年以下の懲役」程度だったのではないか。前にも書いたが、検察の無期懲役求刑が無茶苦茶なのである。同じ事実において高裁は母親との共謀を認定したのだから、二人を共に起訴することは出来た。さすれば求刑は母親無期懲役、少年も上記を少し上回る程度の不定期刑求刑(有期刑の場合、判決は求刑より2割程度下がるので、求刑はその分高めにするのが慣行である)となって均衡がとれる。仮に少年だけを起訴するとしても、妥当なのがこの刑期であるのはいうまでもない。
検察だけではなく、裁判所の姿勢も問いたい。裁判所は検察の求刑に拘束されることはなく、一審懲役15年の判決を下げることはできたのだ。しかるに、なぜしなかったのだろうか。詳細が分からないので何とも言えないが、あるいは弁護側が、あくまで保護処分が相当だとして家裁への移送を求めるだけで(少年法55条)、予備的主張として、仮に刑事処罰が相当だとしても酌量減軽をして不定期刑にしてほしいと言わなかったとも考えられる。この場合、裁判所が内心では不定期刑が妥当だなと思っても、現行刑事訴訟法は民事訴訟と同様の当事者主義をとっているので、当事者の主張がない限り勝手な判断はできないのである(弁護側も一審とは違い実際に15年の判決が出た後の控訴審なので、いくらなんでも保護処分だけの主張に終始したとも思えないのだが)。
あとは上告審に適正な申立てをしてあまりにも不正義だとして覆してもらうのを期待するしか方法がない。とにかく可哀想で仕方がない。人は生まれる遺伝と環境を選べない。こんな母親に育てられ、しかし家族としてはこの母親しかいなくては、少年が善悪の判断について麻痺しても、母親に唯々諾々と従うようになっても、誰も責められないと思うのだ。
検事時代、少年事件をよく扱い、少年院にもよく行った。彼らは全体に、激しく孤独である。非行少女らの夢は意外にも?おしなべて「結婚」であり、暖かい家庭をただ夢見ている。「日曜日寮の電話が鳴る度に我が面会の知らせかと思う」、収容少女の詠んだ短歌が今でも記憶に鮮明だ。