大相撲秋場所が終わって

秋場所3日目(15日)、10日目(連休の22日)、14日目(26日)の計3回、観戦の機会に恵まれた。連日の満員御礼は言わずもがな、これまでに感じたことのないほどの熱気である。外人客の多さにも驚く。最後の26日、我々のいた向正面の後方升席の右隣2つは外人客だったし、最後尾のテーブル席(テーブル席の存在を初めて知った)にいたのはケネディ大使一行だった。

白鵬が1・2日目連敗、3日目以降休場するという大ハプニングのあった今場所。大混戦も予想されたが、照ノ富士が圧倒的な強さで連勝して、独走。私が観戦した10日目には稀勢の里が3敗目を喫して(鶴竜2敗)、ほぼ優勝は決まりと思われた。ああ、なんてつまらない。ところが12日目、その照ノ富士を関脇栃煌山が破り、13日目には続けて稀勢の里が完勝。まるで期待などせずぼんやりテレビ観戦をしていた私はひとりで大声で叫び、座布団を投げそうになった(まさか!)。さすが稀勢の里だ。優勝のプレッシャーさえかかっていなければ、大物相手に、本領の馬力を発揮する御仁である。

急遽、知人に頼んで14日目の観戦にこぎつけた。結びの一番、稀勢の里は鶴竜に対戦する。勝てば、3敗の鶴竜と並ぶ。2敗の照ノ富士は稀勢の里戦で負傷したから、おそらくは休場だろう。俄かに、日本人力士9年半ぶりの(!)優勝が現実味を帯びる。歴史的瞬間は何が何でもこの目で見届けねば。ところが‥これまで28対13で稀勢の里に負け越している鶴竜は、何が何でも勝って優勝したかったのだろう、立ち合い変化という、横綱にあるまじき取り口で2敗を堅持した。片や、ここぞの勝負には必ず負ける失望大魔神(ともいうべき)稀勢の里は4敗で脱落。2横綱休場という千載一遇、絶好のチャンスを案の定ものに出来なかった。やっぱり‥あ?あ。

鶴竜の優勝など見たくもないので、常は行く千秋楽には行かなかった。テレビも見ないつもりが、最後のほうちょっと見て、びっくりした。膝を痛めた照ノ富士が鶴竜に完勝したのである! 何という、驚くばかりの闘志。続く優勝決定戦はさすがに鶴竜が勝ったけれど、星の数12勝は同じ。片や稀勢の里は11勝(今場所は琴奨菊も好調で、久しぶりの二桁勝利11勝)だから、振り返れば、小結隠岐の海戦を落としたのが痛かった。流れは勝っていたのに土俵際の詰めが甘く、逆転を食らった。言うならば、立ち合い変化の鶴竜にだって、変化を食らってそのまま負けたわけではない。ついていったのにやっぱり土俵際の詰めが甘くて逆転されたのだ。15日の連戦では、たった一つの取組も疎かにはできない。一つ一つの積み上げの上に優勝という結果がついてくるのだ。

白鵬は好きではないが、今回珍しく休場したことによって、その偉大さを痛感させられた。まず白鵬は怪我をしない、休場をしない。勝負に徹し、一番一番を確実に拾っていく。詰めの甘さは微塵もない。対横綱・大関は仕方ないにしても、それより下位には星を落とさない。そういう積み重ねのうえに優勝があり、偉大な記録がある。白鵬がいない今場所は、9秒台の記録を争わない100メートル走のようだった。そもそも白鵬の優勝は全勝か14勝、悪くて13勝である。12勝での優勝は3敗であり、絶対的な強さとはおよそ程遠い。

照ノ富士が来場所もし全勝優勝でもすれば来年横綱昇進との声もあるようだ。たしかに強いことは強いし、勢いがあることは認めるが、横綱は心技体が揃い、品格・力量共に別格の者がなるべき地位である。たった一度の優勝で綱を締めた鶴竜が、実力不足から来る当然の成績不振にあえいでいるように、昇進には慎重でなければならない。また、白鵬が度重なる品位に欠ける言動で非難されていることからしても、昇進後も協会は的確な監督・指導を怠らないでほしい。でなければ国技である大相撲の番付及び綱の権威は揺らぐばかりである。

すっかり自他共に認める、スージョの私。競技としての魅力は、体格差を問わず、誰もがあの小さい丸い土俵の上で、多くの技を出し合い、短い間に必ず勝敗が決することである。その上に、生で観戦すると、周りの観客と一体になれ、日本文化も満喫出来るという格別の素晴らしさがある。訪日観光客が中国ばかりか全世界から増加している。大相撲もまた日本を発信する格好の機会だから、どうぞ大事に育ててほしいと願うのである。

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