この16日午後3時の最高裁大法廷判決は、以前より大注目であった。ことに、婚姻の際の強制的同姓についての判断。最高裁がその初めての判断を示すに当たって大法廷を開く以上、周囲では違憲判決が出ると期待する向きも多かったし、私もそう期待していた一人である。だが実は(もう一つの待婚期間のほうの違憲判決とは違い)そうはならない、とある情報筋から聞いていた。だって違憲とまでは言えないでしょう(つまり立法政策の問題だ)と。そしたら、やっぱり、だった。
もっとも、非嫡出子の相続分が半分なのを全員一致で違憲としたのとは違い、今回は合憲10名に対し、少数意見が5名いる。判事15名のうち女性は3名。その3名が全員違憲としたうえ、男性が2人(両名とも案の定!弁護士出身)。このことは評価されるべきかもしれない。裁判官が替われば違憲判断が出るかもしれないし(なにせあと3名が組すれば多数意見になるのだ)、きっとそのうち替わるかもしれないと期待できる故である。
違憲とはしないと聞いた時、つらつら考えてみたのだが、理由はわりあい簡単である。待婚期間の半年を100日に縮めるのであれば、民法を改正してその旨の通達を役所に出せばよいだけだ。だが、別姓は違う。最高裁は違憲としたわ、でも国会は何も是正しないわだと、戸籍係は、別姓の届出を出してくる夫婦についてどう扱うのか。現場はせめぎ合いになり、とても対応できない。訴訟だって増える。
そもそも別姓と簡単に言うが、中国や韓国のような別姓しかない国もあれば、これまで我々が議論してきたような選択的夫婦別姓もあるし、議論の過程で折衷案として出してきた、別姓にしなければならない例外的理由があれば家裁の許可によって認めるといったものもある。加えて、子供の姓をどう定めるのか、という大問題がある。つまりは制度を変えるためには、民法及び戸籍法を詳細に改正しなければ現場は動けないのである。おそらくはその混乱を回避したのだろうと見ている。
寺田長官が言うように、本来こうしたものは裁判所ではなく、国会が動かなければならないのだ。しかし、今を去る10年以上前の国会議員時代、選択的別姓導入に熱心に携わってきた者として、夫婦同姓が日本の伝統だ(明治からですよ! そもそも大方の人に姓はなかった)、別姓は家族を壊す、国を壊すとまで声を大きく主張していた人たちが、これでその主張にお墨付きを得たように合点することが最も嫌である。裁判所は、あくまで違憲ではない、と言うだけであり、これでいいですよとは言っていないのだ。ましてそうでないといけないのだとはまったく言っていないのである。
婚姻して違う姓になると困る人はたくさんいる。通称が認められたとしても、実に不便である(弁護士は旧姓で登録できるが、場面によって使い分けが必要になる)。夫婦のどちらかにその不便さを甘受しろと言うのでは、法律婚も減り事実婚となるだろう。であれば少子化に歯止めもかからない。フランスが歯止めをかけたのは、事実婚にも法律婚とほぼ同様の法的権利を認め、子供の差別を無くしたことによると言われている。社会に寛容さがないととても生きにくい。