この月曜は予報通りの雪になり、電車は遅れるし(地下鉄は関係なさそうだが、間引き運転を指示されているらしい)、道は滑るしで、通勤に難儀した。でも翌日の道は凍っておらず、普通に歩くことができた。こうやって綺麗にして下さる方々に感謝である。東京はたまだからよいが、いつも雪が降る地方の方々のご苦労を改めて思う。
大学はこの7日(木)に後期試験を実施し、今日は丸一日空けておいて、朝から一気呵成に採点を済ませた。何でもそうだが、無事に終了したときには達成感があるものだ。刑法総論と刑事訴訟法。問題は必ず論述式、各2問にしている。授業に出てさえいれば誰でもそれなりに書ける問題しか出していないので、それなりに書いてはくるのだが、やはりそれでもまとめ方というか文章力には大きな差がある。中には、ほうっと思うほど力強い文章もあって(文字、ではない)、それはきっと書き手に、相手に訴えようとする内的なものがあって、それが響いてくるのだなと思う。文章の力というのはすごいものである。
さて両国場所。すでに先週2回、大相撲観戦に行った。たいていは千秋楽にも行くのだが、大相撲人気で今回はチケットが取れないとのこと。残念だが、仕方がない。今場所は異様な熱気である。ことに昨日、互いに10連勝の琴奨菊と白鵬が早や直接対決し、これまで1割しか琴奨菊は勝っていないし、どうせまた白鵬に負けるんだよねと思いながらテレビを見たら、なんと勝ったのだ! それも左を指して右を抱え込み(回しも取らず)、得意のがぶり寄りという琴奨菊必勝パタンで白鵬に何もさせず、まさに完勝だった。琴奨菊ってこんなに強かったっけ? 白鵬ってこんなに脆かったっけ? 乱れ飛ぶ座布団。そう、実際の観戦の素晴らしさは、音も汗も迫力もそうだが、客席のこの一体感である。
今日琴奨菊は、1敗の日馬富士と対戦する。勝つに越したことはなく、もし負ければ1敗で3人が並ぶ(白鵬が今日豪栄道に負ければ2敗に後退するが、それはなさそうな気がする)。横綱はあと横綱同士の取組及び稀勢の里戦なので星のつぶし合いになるが、琴奨菊は豪栄道以外は下位力士なので、単純に考えると琴奨菊のほうが分が良い(とはいえ、過去の対戦成績を見ると、豪栄道にも栃煌山にも負け越しているのでわからないが)。日本人力士優勝の10年ものブランクが、今場所埋まるのだろうか? もちろん土俵では何が起こるか分からないので、期待しすぎは禁物なのだが(と自らを戒めている)。
場所中は大相撲関連のいくつかのブログを毎日チェックしているのだが、喜んでいる人ばかりではないことを発見した。中心は稀勢の里ファンだ。日本人力士優勝の一番候補はずっと稀勢の里だったのである。大関の責任である2桁勝利を概ね挙げ続けているのは稀勢の里だけである。時に白鵬を破り、破格の強さを見せることもある。力はあると皆が認め、毎回毎回期待を裏切られながら、毎回毎回皆飽きもせず、長年ずっと稀勢の里に期待してきた。今場所前もそうだったのだが、しかし実際は6勝5敗。優勝どころか2桁どころか、勝ち越しさえ危ない体たらくなのだ。
予想もしなかった「伏兵」の登場。いちばん複雑な思いでいるのは稀勢の里及びその多くの支援者であろう。モンゴル包囲網にやられるのはもう慣れっこになっているからか、半ば諦めてさほど腹は立たないが、同じ日本人にやられるのは許せない。この手の感情は、ひとり相撲やスポーツに限らず、人間には普遍的にあるように思われる。根源にあるのはやっかみや嫉妬であり、加えて、そうなるともう言い訳ができず、自らの非なり不運に向き合わざるをえなくなるからではなかろうか。
琴奨菊は新しい筋力トレーニングを始め、体幹を鍛えているのが効果を奏したのだという。メンタルトレーニングもしているらしい。すでに31歳だが、嘉風だって30歳を超えての大躍進だ。場所後に披露宴を挙げる予定だという新妻の支えも大きいに違いない。かつて大けがをしてカド番の代名詞になっていさえした琴奨菊は「今は昔」。今場所の琴奨菊は別人のようでさえある。その努力は心から称えなければならないと思う。今日を入れて、残り4日。固唾を飲んで見守りたいと思う。