国会議員の失言続きに思うこと

これって単に「失言」なのだろうか…。北方担当大臣が「歯舞」を読めず(おそらく他の島も読めないだろう)、あと環境大臣、総務大臣…等々と続いて、今度は自民党議員が「黒人、奴隷の大統領」と発言したというのだ。明らかな人種差別発言であり、議員辞職勧告決議案が野党一致で提出されるという。自民党が賛成せずに否決されるだろうが、とはいえまさか是認されるべき発言ではありえない。

まずはこんな差別意識を持っていること自体が大問題なのだが、万一どこかにそんな意識があったとしても自らの公人としての立場を弁えていさえすれば決してできない発言である。議員辞職勧告決議案というのはもう少しレベルの高いことで出されるものだとばかり思っていたのだが、どうやら幼児レベルでも発動されるようになってきたようだ。このところ情けないことが続き過ぎて、こちらも感覚が鈍磨してきた感がある。

宮崎謙介問題もどんどん過熱化している感がある。離党はしても議員辞職はよもやあるまいと思っていたら、急転直下、週刊誌に出た翌々日(12日)には議員辞職を発表した。他の女性問題もあり、支えきれないと内閣が判断したことによるという。そのあとも出るわ出るわ、浮気相手の元タレントがラインのやりとりなどをすべて暴露した。これによると、宮崎は多い時は日に400通ものラインを送り(仕事をしていないのは明らか!)、その内容たるや、「私のど真ん中はソナタ(←これってどういう意味?)」「会いたくてたまらない病」「(相手の女性に)裏切られたらどうしよう。死ぬ!」「好き!」(を日に10通)といった、聞いているだけで恥ずかしくなるほど低俗であり、「言葉」ですらない。

国会議員である以前に、また妻がいてまもなく子供が生まれる立場である以前に、一個の人間として、恥ずかしい。ここにいるのは、ため息が出るほど、稚拙なガキでしかない。何でこれほどの不適格者が国会議員になったのかということで、公募制の問題が取り上げられている。心理テストをやったらいいと言う人もいて、次回何らかの改善が見られるであろうことだけは、今回の成果であったかもしれない。もとより政治家は「なりたい人よりならせたい人を」というのが真実である。自ら手を挙げる人については、その志の真意を確かめられる方法がなくてはならないし、人間性なり教養を保証できる術がなければならない。女にもてたい、権力をもちたい、金を儲けたい、目立ちたいというのが(隠れた)動機の人はそもそもが排斥されるべきである。

しかし、さらに翻って、こうした問題に横たわるのは、ひとり国会議員の問題ではなく、結局のところ、全体の質の劣化なのではなかろうか。裁判官(あるいは検事)の質が落ちているとは以前からよく言われているが(まあ弁護士も増えているだけにそうだろう)、経営者の質も(もちろん一部だろうが)落ちて企業の不祥事が続いている。たまたまシステム的に、あるいは偶然に悪い人たちが選ばれてしまっているというのであればまだよいのだが、もしかしたらその母集団である日本人全体の質が落ちているということはないのだろうかとの危惧を私は持っている。

現在アメリカ大統領選の状況を見ていると、アメリカもまた著しく人材難であり、質が落ちているように思える。となると、これはあるいは世界全体の問題なのかもしれないと思う。もしそうだとすると、その理由は一体何なのだろうか。あるいはラインやスマホ、インターネットに代表される科学や文明の進歩が人間を駄目にしているのかもしれないと思ったりする。人間は言葉と共に進化した生き物だが、これら便利な道具の、異様なまでの発展は、そもそもの言葉を劣化させているように思えるのだ。

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