大相撲春場所終わる、大相撲協会に望むこと

なんとも残念な、極めて後味の悪い場所であった。昨日千秋楽結びの一番、白鵬は日馬富士との真っ向勝負を避け、えげつない変化で勝利した。一瞬何が起こったか分からず、あっけにとられ、憮然とし、すぐにテレビを消したが、そのあと席を立って帰る客が続出し、野次怒号が飛び交う中で表彰式が行われたという。長い大相撲の歴史において、それは初めての光景であったろう。本当に残念なことである。

当然のことながら、スポーツはすべて、ただ勝てばよいのではない。フェアプレーに徹し、清く正しく美しくなければ称賛されえないのだ。中でも柔道や剣道は、華道や茶道同様、その「道」を追求し、「礼に始まり礼に終わる」ものである。まして相撲は、神事である。天皇陛下が自ら観戦に来られることをもってしても、ただの格闘技とは根本から異なっている。

横綱は、600人いる力士の、まさにトップに君臨する絶対的な存在である。力量はもちろんのこと、品格を常に問われる立場にある。長く絶対的な強さを誇り、多くの記録を塗り替えてきた白鵬だが、品格の欠ける所作や言動がここ数年、目立つようになった。力が落ちてきた分を補っているのだろうが、今場所も張り差しからかち上げ(というより、栃煌山戦はかちつぶしだった。流血は、格闘技にはありえても神事である相撲には御法度である)、そしてダメ押し‥と目を覆うばかりの取り口が続いた。その極め付きが最後の取組みだ。対戦相手に対して失礼という意識はないのか。大金を払って、楽しみにして足を運んでくれる客に対して失礼とは思わないのか。おめでとうとは誰も言わない、卑怯な手口を使ってまで勝って、嬉しいのだろうか。自分の子供に対しても胸を張れるだろうか。そうか、彼には「恥」という概念がないのだ、と気が付いた。勝つこと、そしてお金がすべてであれば、たしかにどんな取り口でも勝てばよいのである。

このところ連日満員御礼の相撲人気であるが、相撲競技人口はとても少ない。野球やサッカーなどの球技が断トツの人気であり、柔道や空手もそれにはとうてい及ばないが、相撲となると本当に少なく、そのうちから入門してくる若者は毎年70人程度しかいないという。そこそこの力士であれば大卒でもよいが、強い横綱を育てるには中卒で上がるのが良いらしい。モンゴル3横綱は16歳で入門、日本人力士のホープ稀勢の里も中卒である。しかし、せめて高校くらいは出ておかないとつぶしが利かないと今時誰だって思うだろう。入門後も高校には通えるといったシステムを考えていかないといけないのではないか。

良い力士が育たなくては、相撲人気も先細りになるのは目に見えている。片や外国人は、各部屋一人の厳しい制限の下に、入門者は精鋭だ。日本との大きな所得格差もあり、ハングリー精神が際立つから、もし相撲が単に格闘技でよいのであれば、外国人に占拠されてしまうのは必定だ。この度十両優勝をした大砂嵐(エジプト)にしても、以前よりはましになったとはいえ、およそ相撲の型を踏んだ取り口ではないと思える。張り手やかち上げを禁止にし、ダメ押しをすれば反則負けにするくらいにしないといけないのではないか。現に反則とされる髷掴みなどよりよほど悪い手口だと思える。美しくない技や取り口は許さないと、協会が本気で取り組まなければ、入門する若者もいなくなり、全体の士気も失せ、せっかくの相撲人気もあっという間に下がるであろう。かつて来た道がそこにある。横綱審議会も含め、真剣に、逃げずに、論議してもらいたいと思う。

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