2ヶ月ほど前のこと、刑事裁判官による「控訴審での弁護のあり方」についての弁護士会研修を受けてみた。見た目にも実直で裁判官らしいその方は、長年専ら控訴審(高裁)勤務なので、「実は裁判員裁判の経験がない(裁判員裁判は地裁だけなので)」。あら、じゃ、私と同じじゃないですか(笑)。検事を18年前に辞めたので、裁判員裁判の経験もなければ被害者参加制度の経験もない。依頼される刑事事件といえば公職選挙法違反その他、およそそうした新しい制度には無関係なものばかりである。
さて、一審判決を不満として控訴する場合は控訴趣意書を書くのだが、この書きっぷりが二審での勝負を決めるといって、過言ではない。判決のどの事実認定あるいは判断が客観的証拠や合理的な経験則に照らして誤っているかを、いかに強く二審裁判官に訴えることができるか。しかし、それが全く分かっておらず、一から自らの主張をしてくる趣意書が結構あるという。加えて、もともと裁判は一審勝負であり、出せる証拠はすべて一審で出しておかねばならないのだが、分かっていない弁護士もよくいるという。つまりは未熟な弁護士によって、うまくやれば無罪が取れる事件が有罪だったり、本来はもっと刑期が短くて済むのが長くなったり、執行猶予が取れる事件が実刑になったり…ということになる。どれほどの悪人であっても、法治国家の下、きちんとした弁護を受ける権利はあり、それを尽くした上で確定した刑罰だからこそ、服役後の更生も図れるのである。
未経験の負い目があり、ちょくちょく裁判員裁判の研修を受けている。すべて実際の事件に基づいていて、傷害致死や強盗致傷などが多いが、先日は初めて危険運転致死罪だった。これも裁判員裁判の対象だが、素人さんに大丈夫か? そもそも15年前に新設の罪名だから、法律家でも分からない人は珍しくないのだ。それでも事件が来たら勉強すればよいが、裁判員はその日に来て、その日初めて起訴状を見るのである。
模擬法廷が始まる。検察官の冒頭陳述によると、被告人(役)は30代の職業運転手。夜10時頃、交差点は赤信号だったが、左右を確かめると車はおらず、名古屋まで走った後だったので疲れて早く家に帰りたい一心で、時速50キロでそのまま交差点に入った。すると、倉庫があって視界が悪かった右側から入ってきた車と衝突、運転していた女性と子供(5歳)の両名が死亡した。
これを受けて、弁護人が冒頭陳述をするのだが、なんと公訴事実は争わない! びっくりである。危険運転致死罪が設けられた立法趣旨は、私も当時参院法務委員会にいて携わったので知悉しているが、飲酒運転常習者や暴走族のような、過失ではなく故意犯に等しい運転態様を、まさに故意犯として厳しく取り締まろうというものである。これは前方不注視や停止義務違反といった普通の運転ミスとは質的に異なっている。平成25年、自動車運転関係の致死傷罪はすべて刑法から独立し、「自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律」という特別刑法によって律せられることになった。普通の運転過失致死傷は「7年以下の懲役・禁錮又は100万円以下の罰金」(5条)であるところ、危険運転によって人を死亡させた場合には「1年以上の有期懲役(20年以下)」(2条)と格段に重い。当然のことながら、どちらを適用するかによって量刑は著しく違ってくる。
事案のように、たまたまの赤信号無視は、条文にいう「殊更に無視」ではないし、時速50キロは「かつ重大な交通の危険を生じさせる速度」ではない。弁護人は、検察の起訴に唯々諾々と従うのではなく、素人の裁判員に対してその立法趣旨を延べ、本件は危険運転の構成要件に当たらず、通常の自動車運転過失致死に過ぎないと、争うべきなのだ。
遺族である被害者夫の陳述、被告人妻の陳述、そして最後に被告人が陳述した。検察官の求刑は懲役10年!(まさか) 続く弁護人は、量刑グラフを示して、懲役6年から8年が妥当である! そのあとの評議は聞いていないので分からないが、被告人にとって良くて6年、悪ければ10年近く服役することになる。重すぎる。なぜならば、この事案は、法が予定している故意相当事案ではないからである。過失と故意はまるで違う。人を殺そうとして殺すのと、不注意の結果人が死んでしまうのとでは、天と地ほども違う。そもそも刑法は故意犯をのみ処罰し、過失犯は例外としている(刑法38条1項)。被告人は事故を起こしたくて起こしたのではない。起こしていいとも思ってはいない。直ちに救助したが被害者両名死亡。逮捕され、勤務先は解雇された。自らにも5歳の子供がいるが、妻子を路頭に迷わせるかもしれない。その交差点に通りかかるのが5秒違えば避けられた事故だった。そんなに長く服役させて、一体何を反省させるというのであろう。せいぜいがその一瞬を不運だったと後悔するだけになる。
裁判員は、当然のことながら、故意と過失の区別もつかない(大学で教えているから、それはよく分かる。私だって本気で勉強するまでちっとも分からなかった)。もちろん危険運転がどのように普通の交通事故と違うのか、どれだけ重いのかも、分からない。まして量刑感覚などあろうはずがないのに、一体どんな根拠で判断させるというのだ。裁判員裁判では今や量刑グラフが当たり前になっているのだが、裁判はゲームではないと腹立たしささえ覚えた。
実際の法廷も同じようなものであろう。妻と子供を一瞬にして奪われた遺族が気の毒なのはもちろんだが、被告人や家族も心から気の毒である。被告人がどれだけ長い間服役したとして、被害者は二度と戻らない。憎むといっても、過失と故意とでは根本的に違うだろう。遺族にとって癒やしになるのか? また刑罰はひとり遺族の報復感情を満たすためだけにあるのではない。事実認定ばかりか量刑判断をも裁判員に担わせる制度を導入した以上、正しい起訴、正しい弁護、拙速でない審理は当然の前提であるはずだ。他人を服役させる判断をして平気な人などいようはずがない。たまたま事件審理に巻き込まされた方への責任をも、法曹関係者は背負っているはずである。