今朝のこと。新聞を裏面から見て、あれっ、中村吉右衛門じゃない!(日経の連載「私の履歴書」のこと)」。で、日付が8月に代わったと気が付いた。無事に7月が終わったのだ‥。6月末、記録的な早さで梅雨が明けた後、連日記録的な酷暑が続いた。故郷広島では豪雨による大災害で、死者が多数に上った。三原の貯水場がやられ、尾道の母方でも断水が続いた。庭に古い井戸があり、洗い物や体を洗うことなどを賄えたのは不幸中の幸いだった。そうでなければ物流も途絶え、給水車では2時間も並んで少量しか配給されなかったとのこと。猛暑の中、体調を著しく壊された方も多いだろう。10日後には水道が無事復旧し、母は電気水道の有難さを身に染みて思ったそうだ。
仕事でも異変が起きた。世間の耳目を引く事件の弁護人を急遽依頼され、小菅の拘置所通いが20日続いたのだ。何よりひどかったのがマスコミである。電話もひっきりなしだったが、この暑い中、事務所の前で大勢待っているのだ。ひどいのになると事務所のあるフロアまで上がってきて、入り口前で待っている。1階下に住んでいる大家が怒り、「ウチは雑居ビルじゃない! テナントのアポがなくてビルに入るのは住居侵入だ!」とばかり、その旨ビルの入り口に張り紙を出してくれた(ついでに、不要な営業が来なくなって、大助かりだが)。
これじゃマスゴミと言われるはずだと実感する。拘置所前でも大勢待っている。中には敷地内に入って玄関まで来て待ち、私を見るや声を掛けてきたのが3人いる(いずれもA新聞社と名乗った)。「面会人を装って入ってくるのは、住居侵入になるよ」と諭し、問いには答えず、車に乗り込んだ。土曜、拘置所からハイヤー2台につけられ、自宅まで追われた際には、管理人に電話し、郵便受けの名札を外して貰った(念のため、マンション内の名札も、玄関の表札も外した)。それでも下から私方部屋のチャイムを鳴らしたのが、2人。モニターに映るので、宅配以外は応答せずに済んだ。
報道の自由はあっても取材の自由など、ない。報道の自由ですら「公共の福祉」による制限を受けるのである。相手には、取材を受ける自由もあれば受けない自由もある。被疑者被告人にすら黙秘権があるのに、守秘義務のある弁護士に黙秘する自由が、ないはずがない。そこを無理にでも言わそうとするのは完全な勘違いである。親しい記者いわく「ノーコメントと言われれば引き下がるよう教育されているはずなのだが‥」。どうだか。
起訴当日までマスコミに追われていた。翌日以降とたんに平穏な暮らしが戻ってきた。それがいかに素晴らしいことか、初めてのように認識している。例えばこの猛暑の中、朝の早い時間、あるいは夕刻から夜にかけてごく時折、ベランダから爽やかな風が吹いてくることがある。その時の何とも言えない爽快な幸せ感はおそらく、もしずっとそうであれば、いちいち気にも留めない類のものだろう。今ここにある幸せ、ほど大事なものはない。
何事もご縁である。尊敬する中曽根元総理の座右の銘は「結縁、尊縁、随縁(縁を結んだら、縁を尊び、縁に従う)」。被疑者被告人を守るのは刑事弁護人の役目である。もちろん、刑事事件ほどの緊迫感のない民事事件や家事事件でも、いったん引き受けた以上は最善の努力をし、他のどの弁護士が受任したよりも良かったと思える結果を求めたい。早いもので、弁護士生活も先月末で14年になった。国会議員6年の倍以上。その前の検事15年2か月には未だ及ばないが、来年同い年になる。14年間、ずっと同じ仕事場で、住居も同じ。我が人生で、飛び抜けの最長記録である。