2週間前の話になるが、秋場所は稀勢の里がまさかの10勝を挙げ、とにかくひとまず安堵させられた。8場所も休んでは健康な人でも相撲勘が戻らないうえ、昨年春場所に負った大胸筋断裂は決して治癒しないと聞く。左おっつけが伝家の宝刀、その左が使えないとあってはもう真っ当な相撲を取ることはできないだろう。おそらく序盤に負けが込んで引退表明になるのではと危惧していた。それがなんと10勝したのである! 大関豪栄道には完敗したが栃ノ心には勝ち、横綱白鵬には完敗だったが鶴竜には勝った。10勝は大関の責任ラインではあっても横綱のではない。でもとりあえずこれで引退の話は先送りになった。次場所が勝負の場所になる。
横綱在位優勝わずか1回の稀勢の里にすれば、比べるべくもない22度の優勝回数を誇る貴乃花は神様のような人だったろう。どちらも八百長なしのガチンコ、中学卒の叩き上げ。出世スピードの記録を塗り替えた貴乃花に及ばないまでも、稀勢の里も10代で幕内に上がった。貴乃花の父は人気力士だった大関貴ノ花、伯父は初代横綱若乃花で相撲協会理事長も務めた。兄若乃花との若貴ブームは空前の盛り上がりを見せ、花田家はまさに角界のサラブレッド一族だった。
それが一体どうしたことだろう。相撲協会の理事を務め、理事長選に立候補して敗れたのが2年前。本人はそれが最初で最後の理事長選のように言っていたが、まだ40代と若いのだから、うまく立ち回ればそのうちには理事長になれるだろう。何といっても貴乃花以上の大横綱はいないのである。未だに多くのファンがいることを、先月大相撲9日目に行った時に実感した。周りを圧するオーラは半端ではない。少し前、理事選にすら落選して(わずか2票!自分以外に1人いただけである)年寄に降格になったときですら、そのうちには復帰するだろうと気楽に思っていた。とにかく千代の富士亡き今、貴乃花以上に実績のある横綱はいないのである。
それがこの度の急展開である。相撲協会を退職し、名門だったはずの貴乃花部屋を閉め、貴景勝以下の有望な力士その他を全員、他の部屋に移籍させたのである! 貴乃花は相撲協会と無縁になり、以後審判はもちろん実況解説をすることもない。なんと寂しいことではないか。理由はいろいろ取りざたされているが、本当のところは未だに不明のままである。なぜ貴乃花一門を消滅させてしまったのか。どこかの一門に属さないと相撲部屋を持てないとの決議が理事会でなされたというが、それは本当なのか。そして貴乃花部屋の引き取り手がなかったというのは本当なのか‥。
貴乃花の行動がおかしいと感じ出したのは、昨年11月に起こった貴ノ岩の一件からだった。それが貴乃花対モンゴル力士の構図となり、貴ノ岩が貴乃花に匿われて(?)出場させてもらえないという疑惑にもなった。しかし元はといえば貴ノ岩に暴力を振るったのは日馬富士であり、白鵬の(明示ないし暗黙の)指示によるものだったと言われている。悪いのは日馬富士らのほうなのは明らかであり(傷害罪で罰金50万円の略式命令となった)、それ故に日馬富士も引退をしたのであるが、貴乃花の行動がおかしいが故に、その本来は明らかだった構図が歪められたように思える。
貴乃花は相撲協会をまったくもって信用していないらしく、貴ノ岩事件を巡って公益財団法人相撲協会を監督する内閣府に告発状を提出していたが、部屋の力士貴公俊(よしとし)が付き人に暴力を振るった件を反省して告発状を取り下げたという。弟子ためにひたすら改悛の情を示したやに見えたが、その後に上記のいじめ(?)に遭ったということなのか。よく分からないままである。
貴乃花の廃業により、名門花田家の系譜は途切れてしまった。兄はもうとうの昔に引退して、弟とは10年以上絶縁状態と聞く。同じく母親とも絶縁状態だ。おそらくは妻とも誰とも相談せずに、廃業を決めたのではないだろうか。ご先祖様に申し訳ないとは思わなかっただろうか。せっかくここまで育ててきた弟子やその親たちに対してはどう考えていたのだろうか。部屋の出世頭貴景勝の本名は佐藤貴信。貴乃花のずっと大ファンだった父親が貴の字をつけ、格闘技で名を挙げた息子を、喜んで貴乃花に託したのである。
一説には参院選に出馬をするとの話を聞く。知名度はもちろん抜群だし、これまでの経緯からして、相撲協会が伏魔殿で、貴乃花はその被害者だと感じている人も多かろう。出れば当選の確率は高いと思われるが、当選をして、上から相撲協会を改革したいのだろうか。とはいえもともと彼はどのように、協会や大相撲を変えていきたかったのか。子供に相撲を普及させたかったという。それはもちろん立派なことであり反対する者はいないだろうが、参院議員などにならなくても、相撲協会にいたままで出来たことではなかっただろうか。国民栄誉賞を貰った千代の富士も理事長どころか理事にさえ落選した。偉大な国民的ヒーロー千代の富士も貴乃花も、いなくなってしまった。悲しい。