3月27日、東京高裁が麻原被告の控訴棄却を決定した。相当に思い切ったものだと感心している。
「控訴裁判所は(弁護人が)裁判所規則に定める期間内に控訴趣意書を差し出さないときは決定で控訴を棄却しなければならない(刑事訴訟法386条1項1号)」。遅延がやむをえない事由に基づくものと認めるときを例外として(同法規則238条)、原則として控訴は棄却されるのだ。
とはいえ、事件が事件なだけに、また死刑判決でもあり、そんな簡単には(!?)処理はできないのではないかとの読みが一般であった。
だが、高裁は決然と決定をした。高裁への異議申し立て(同条2項、385条2項、422条により、提起期間は3日)、続いて最高裁への特別抗告(433条、提起期間5日)が出来るが、原決定が法の定め通りに行われただけに、覆ることはまずあるまい。
麻原被告の一審死刑判決は2004年2月。初公判から実に8年後であった。
控訴趣意書提出期限は翌2005年1月と定められたが、一審の国選弁護団辞任後就任した私選弁護団は、被告本人と意思疎通ができないことを理由にこれを徒過、同年8月に延期された期限も再度、徒過した。
弁護団は、被告には訴訟能力がないとの理由で公判手続き停止の申し立てをしていた。世上よく問題とされる責任能力は「犯行時」のものだが、訴訟能力はこれとは違い、訴訟を遂行できる能力のことである。犯行時は責任能力があっても、拘禁される結果としてよく起こるいわゆる拘禁反応や、その後発病した精神病などによって訴訟能力がなくなることはあり、となると本人には当事者能力がないのだから、公判は停止されなければならない。弁護団は麻原被告の控訴審前にこれを主張したのである。
だが、そもそも拘禁反応によって被告に訴訟能力がなかったのだとすれば、一審判決を受けることもできなかった。それ以後、とくに訴訟能力がなくなる事由は発生していない。
実際、弁護団は控訴趣意書を用意していたし、訴訟能力を本当に争うのであれば、控訴審で争えばいい。明瞭に定められた法を遵守しなかったことで、被告が控訴審を受ける権利を奪い、一審の死刑判決を確定させる責任は重大だ。弁護士会の懲戒処分の対象になるであろうし、弁護過誤でもある。
もちろんこれは、被告の刑責が重大にすぎ、一審も十分に長すぎたとこととは別次元の問題である。裁判が迅速であるべきなのは言うまでもない。
ただ、裁判によって全貌が明らかにされることを強く望む気持ちは分かるが、しょせん人間の手によるもの。自ずから限界があることを、国民もマスコミも是非知ってほしいと思うのである。