毎日毎日、これでもかというほど悲惨な事実が報道される度に、胸が痛む。どんなにか毎日苦しくて辛くて、地獄のようだったことだろう。逃げ出せる所もない、救ってくれる人もいない、いつ虐待が止むのか当てもない‥。暴力はどんどん激しさを増すばかり、死ぬまで止むことがなかったのだ。
廊下に立たせて眠らせない、殴る蹴る、食事もやらない‥最後の日、女児が部屋に入ろうとしたことに怒り、浴室に連行し、首を掴んで冷水シャワーを長時間浴びせ続けた。肺に水が溜まるほど、口や鼻から大量に水を入れ続けたのだ。これが躾でないのは当然として、ただの暴行でもない。まさに殺害行為である。女児が倒れて息をしなくなってようやく行為を止め、慌てて医師をよぶこともなかったのは、女児の死が折り込み済みだったとしか思えない。もともと父親の、「死ね。お前なんか殺してやる」との怒声が1年ほど前から近所に聞こえていたという(そういう場合は通報義務があるのです!)。目黒といい今回といい、都会で事件は起こっているが、目黒の前の香川や、野田の前の沖縄では通報もあり、児童相談所が介入している。地方ではやはり近所の目があり、こうした事件は起きにくいとはいえるであろう。
死因が明らかにはなっていないとしても、因果関係は認められる(つまり、「父親の暴行がなければ女児は死ななかった」。もともと何か死に繋がる持病があったわけでもないのだから、この点を弁護側が争っても裁判員が納得するはずはない。)のだから、明らかに殺人である。ただ法的に少し困るのは、その後同じく傷害で逮捕された妻のほうの罪責である。妻もまた、女児の死を認識(・認容)していたか? そうだったかもしれないが、であればいつからなのか? 実行正犯ではないので、殺人の共犯にするにはちょっと‥という感じがしないでもない。
女児に対する暴行の映像記録も父親のスマホに残っていた。本人が撮ったのか、妻に撮らせたのか? 通常の事件では当日の暴行以外は特定ができないのだが、それを遡る暴行についても自ら動かぬ証拠を残していたのである。虐待がもはや自らの生きる証であり、生きがいであり、快楽だったのであろう。もし面倒な子で不要であれば人に引き取ってもらえれば嬉しいはずだが、連れ戻しに躍起になっていたこれまでの行動を見るに、女児への執着には凄まじいものがあり、虐待依存症とよぶべきものだろう。そのターゲットがいなくなったので、矛先は今後別のものに向けられることになる。
目黒事件の場合、実父がいるので、実父やその両親が、女児の無念の死を嘆き、犯人の厳罰を望んでくれる。だが両親が犯人の場合には、誰一人その死を悼む近親者がいない。祖父母にしても孫より子供のほうが親等が近いのだから、容疑者の減刑を願うばかりである。職場では穏やかだったという容疑者。二重人格というのは容易いが、成育歴など、その両親やきょうだい(妹も虐めていたとネット情報にある)などの証言を聞いてみたい。そして、今度こそ掛け声ではなく、身近な虐待を決して見過ごすことがないよう、政府や公的機関はもちろんのこと、一人ひとりが力を合わせていくべきだと思うのである。