10連休、終わる──天皇制について思うこと

実に長い、長い休みであった。行楽シーズンなので、これ幸いと海外などに出かけた人も多かったのだろうが、その一方で、各種サービス業や医療関係者など、休めないどころか、人手が不足する分常より忙しい所も多かったはずである。ケアワーカー業の知人女性は、出勤してもらうのは変わらないのに、その分休日手当を払わないといけないし、国は一体何を考えているのかしらとぼやいていた。

(初めての生前退位に伴う)御代替わりを国を挙げてお祝いするために、10連休をというのは、いつの間にか決まっていたことである。まさかあと言っていたら、本当だった。休みに入る前、秘書に、留守電に吹き込まないの?と聞いたら、全国同じなので不要ですと言われた(笑)。たしかにそうだ。検察庁も裁判所も休みなので、堂々の休みである。

テレビで、天皇陛下の退位のお言葉を聞いた。新天皇は、新皇后の体調不良もあって露出も少なく、国民から遠い存在だろうと思っていたら、4日の皇居参賀には予想を上回る14万人もが訪れたとかで、大変驚いた。この日のために全国から来た人たちがいて、天皇制のことなどあまり知らないと思われる若者も多かった。今80歳を越える元女性国会議員がかつて「若い人は皇室になんか興味がないわよ」と断言し、私も参賀者は平成天皇の最後のお出ましになるこの正月以後激減するだろうと読んでいたが、そうではなかった。

一つには誰が天皇だ皇后だといった具象的なことではなく、それに表象された天皇制という長い歴史が、我々が日々実感する以上の大きな力をもって、この国を成り立たせているということなのだろう。そしてまた一つには、元号が替わり(「令和」というのはなかなか素敵なネーミングである)、文字通りワンジェネレーション、30歳若返った新天皇・皇后が前面に出てくることによって、新しもの好きの日本人の感性に嵌まったということもあるだろう。これまでいろいろと言われた新皇后の病気や公務欠席などネガティブな事実を知らない人も多いし、日本人は全体に、何事もあまり悪くは取らないほうなので、今後の活動次第ではきっとそのまま受け容れられることだろう。

日本の憲法が他国のそれと違う特色は、ひとり天皇制にある(あと強いて言うなら「戦争の放棄」か。しかし侵略戦争を認めないのはどの国も同じであり、日本も自衛のための戦争を認めるので、基本的には変わらないはずである)。憲法というのはどこであれ、国民の権利・義務及び統治機構の二本柱で成り立っていて、それを読めば、その国がどういう国なのか、国柄が分かるものである。その点、日本国憲法はGHQが作っただけあって世界のどの国に持って行っても通用するのだが、絶対に他の国と違う所が一点あり、それが1?8条の天皇制なのである。

天皇制は2000年を優に越えて連綿と続いてきた日本固有の歴史であり、それが故に他の国から尊重されているのであるから、この後もずっと続いてもらいたいと願うが、実際問題として、先細りが顕著である。男系男子といえば悠仁親王ただひとり。成長した後、結婚相手が見つかるだろうか。そのうえで男子を授かる確率はもちろんゼロではないにしろ、かなり低いのではないか。不妊カップルは大体1割はいるし、女子しか生まれない可能性も、これまでを見ればかなり高いといわざるをえない。とはいえ側室はもってのほかだ(ヨーロッパはもともとこれを認めない)。

皇室典範を改正して女子に皇位継承権を認め(天皇制の歴史を抜本的に変えることになる)、愛子天皇を誕生させるとして、結婚相手はやはりなかなか見つからないだろうし、子供が産まれるとも限らない。皇室典範は皇族の養子を認めていないが、やはり改正して、旧宮家の男子を天皇の養子に迎える方法も考えられはするが、国民感情からすると、それもハードルが高いだろう。女子に皇位継承権を認めるとすれば、眞子・佳子さんら他の皇族にも認められることになるが、巷の話題に事欠かない現在の結婚問題を見ても、それまた非常に難しかろう。戦後の近い将来で皇統の存続が危うくなったのは、昭和天皇に3人もいた弟の子孫が女子ばかり、平成天皇の弟に子供がなかったという現実があったにしろ、昭和天皇より前の傍系を皇位継承者から外した以上、いずれは向き合うべき現実であった。

ただでさえ五月病で、5月以降めっきり受講者が減るものなのに、この度の10連休である。一体どれほど減っているだろうか、出講日の木曜がちょっと怖い気もする。ともあれ、誰にとっても、10連休後に仕事に復帰するのはなかなか疲れることである。

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