先月28日朝突如発生した川崎の事件は,あまりに衝撃的だった。亡くなった女子小学生と(別の小学生の)父親,及びそのご遺族に対し,心よりお悔やみを申し上げます。負傷者を併せると被害者20人にもなる大事件を,被疑者は包丁を複数用意し,背後から滅多刺しすることによって敢行したのである。そして,自殺。
頭にさっと浮かんだのは,18年前の大阪教育大附属池田小学校事件である。小学校に乱入した男が包丁で小学生8人を次々と殺害,教員を含めて15人が負傷した。エリート小学校という共通項。宅間守37歳は,早くから問題児で,志願した自衛隊でも,その後転々とした職場でも,育った家庭でも孤立していた。自殺する気などさらさらなく,罪を免れるために精神障害や薬物使用のせいにしようとしたが叶わず,死刑判決が下り,わりとすぐに執行された(獄中結婚した女性が遺骨を引き取った)。遺族らへの謝罪の言葉は,一審の裁判時以外は一切聞かれなかったという。
宅間には強姦の前科があったし,周りの誰彼への粗暴さが半端ではなかった。対して,川崎事件の被疑者51歳は,近所でトラブルを起こしていたようだが,前科もないようだし,これといって目立つ人間ではなかったようだ。学生の頃の写真しか出てこないところを見ると,結婚はむろんのこと就職経験もなかったのであろう。同居していた80代の夫婦は実の両親ではなく伯父夫婦だという。実の両親が離婚して息子を手放したのを引き取り,実子と一緒に育てた。その「いとこ」がカリタスに通っていたとの報道もあり,実子と差別されたとの怨恨を長く募らせていたのかもしれない。伯父夫婦は被疑者のために食事を作り,小遣いをやり,気兼ねをしてヘルパーも呼べないなど,不自由な生活を強いられていて,何度か公的な相談にも行っていたという。そして突如,この事件である。
「被疑者死亡」の場合でも捜査は行う。捜査は犯人の発見・確保及び証拠の発見・確保が二本柱だといつも学生には教えていて,しかし犯人が死んで法廷が開けなくなっても,捜査は行うのである。故に警察は,自宅の捜索差押えに赴いたし,関係者の事情聴取も行っている。それは,事案の真相を明らかにしなければならないからである(刑事訴訟法第1条)。だが,動機はじめ犯行に至る経緯,犯行状況その他すべて,本人以上に知る人はいない。つまり自殺は,証拠隠滅かつ逃亡の,究極の形であり,故に捜査機関が最も嫌うところなのだ。被疑者は何らかの理由で命を絶とうと考えた。だが,ただ死ぬのでは自分だけが被害者になってつまらない。自分をここまで追い込んだものに抗議を表明する手段として,カリタス小学生殺害を思いついた…がこれも,ただの推測に過ぎない。
この事件をきっかけに一気に「引きこもり」がクローズアップされ,いささか驚いている。私の知る限り,引きこもり=危ない(=犯罪)では,ない。引きこもりの犯罪者を扱ったことは,まったくない。なぜならば,引きこもりとは文字通り,学校にも仕事にも行かず,家に閉じこもっている状態を言うのであるから,他人に危害を及ぼす社会的逸脱行為である「犯罪」をしようがないからである。家に閉じこもり何もしなくてもご飯を食べさせてくれる人がいるから引きこもれる,つまり生活にゆとりのない国では引きこもりはなく,日本特有の現象だと言われていて(そのままhikikomori),もしこの場合に罪を犯す相手がいるとすれば,それは同居している家族だろうが,家族を殺しては自分も食べていけないので,そこまでするとは考えにくい(自殺する気であれば巻き込めるが,この事件は家族以外の赤の他人の巻き込みだった)。引きこもりの概念を広げ,近所に買い物や趣味のことで出かけるのはOKの状態まで含めるようだが,そのことによって新たに考えられる犯罪といえば万引き程度であろう。今回のことで,すわ,引きこもり=危険=犯罪,と騒ぎ立てている人たちは冷静な判断を欠いているとしか思えない。
若者の引きこもりは,従来から問題になっていて,その意味するところは,若いのに就労しないのではあたら人的資源が無駄になる,キャリアも積まずただ年老いてはますます無駄になる,また親の年金などを当てにしているから,親が死ねばいずれ経済的に立ち行かなくなり,果ては生活保護という究極のセイフティネットが枯渇するといった,経済的社会的な問題であった。だんだんその年齢が上がってきて,中高年の引きこもりも大量にいると言われ出した。私の知り合いにも,長らくずっと働かず(親の代からの不動産収入があるのだ),独居して,ただご飯を食べたり趣味の物の買い物には出かけるといった人もいて,ああ,あの人も引きこもりなのだと今回,認識させられた。老年になれば同居家族もおらず,自炊したり近場に買いに出るくらいはしなければならなくなるが,これが直ちに犯罪に結びつくとは思えない。意図しての引きこもりではなく,引きこもりたくはないがどうしたらよいか分からないといった人の場合,支援の手をさしのべる態勢があればそれに越したことはないだろうと思う。
さて,農水元事務次官76歳が,自宅で長男44歳を殺害した事件がこの1日に起きた。川崎事件から4日後だ。このニュースに接してまず閃いたことは,おそらく被疑者は,長男が川崎事件の犯人と同じように,他人に危害を加えたらいけないと考えたのではないかということだった。実際,その日,近くの小学校での運動会の音がうるさいと長男が文句を言い,喧嘩になったという。このケースは,ただ引きこもりだから,殺害したのではない。そんなことで殺人事件が起こっていたのでは,日本中,殺人事件ばかりである。この長男は家庭内暴力がひどかった。日がな一日ゲームに嵌まり,「愚母を殺したい」「死んだら遺影に灰を投げつけてやる」「中2の時,愚母を殴り倒した快感が忘れられない」などなど,読むに堪えないことを書き込んでいた。中学生からだと,まさに30年もの長い間,凄惨な家庭内暴力が繰り広げられていたことになる。家庭内暴力による被害者が加害者に転じて,殺人事件になることはよくあることだ。
分からないのは,この長男は十何年間か別居していたが,この5月末,同居のために戻ってきたと最近報道されたことである(であれば,近所の人が息子を見かけたことがないと口々に言うのも納得できる)。家庭内暴力がひどいのであれば,家に戻すべきではもちろん,なかった。お金はあるのだから(ゲーム課金を月30万円以上クレカで払ったと自慢している),これまで通り,お金をやって他で住まわせておけばよかったのである。実際戻ってこなければ,自身殺されることもなく,親が殺人という大罪を犯すこともなかった。戻ってすぐの殺人では,この間にいかほどの暴力を振るわれたとしても,それが正当防衛的なものでない限り,殺害に結びつくほどのものだったとは考えにくいし,同様に,息子が川崎事件のような蛮行を働くかもしれないと思い至るのも早すぎるように思われる。実際のところ,長男には抵抗の跡はなく,就寝中にめった刺しされているのだから,父親には確定的な殺意があり,「殺すしかない」とのメモ書きも残っている。そんなことをする前に,他に出来ることはないのか,然るべき人に相談するなり,考えて欲しかった。子を製造したのは親であり,親がそれを不良品だと見切って殺すのは,やはりあってはならないことだと思われる。
あまたある殺人の中でも,子殺しは最も悲しいことである。虐待をするとんでもない親もいるが,たいていの親は,子の幸せを心から願い,子に良かれと思って育てたのである。時に失敗はあっても,子育てに絶対的な失敗などはない。愛情があれば,尊敬があれば,それなりに,なんとか育つものなのだ。絶対的に愛しい存在を,長く愛情を込めて育ててきたはずなのに,自分たちの思う所とは違う存在となり,あまつさえ,身を挺してでも守らなければならない存在を自らの手で抹殺するに至るのは,あたかも自死行為に似てはいないか。元事務次官という偉い人だったかは別にして,一人の人間として見るとき,間違いなくそれはとても不幸な人生であったと思わざるをえない。