週一度の授業では冒頭,話題の事件から始めることが多いのだが,最近はいろいろありすぎて絞れず(日々いろいろな事件が起こるので,頭の中でつい流れていってしまうせいもあるだろう),ついそのまま授業の中身に入っていくことが多い。事件の話や経験談をすると学生の目の色が変わることは十分分かっているのだが…。中で唯一,時間的な流れまで書いて,説明した事件がある。先月19日に神奈川で起きた,実刑確定者の逃走事件である。
そもそも実刑確定者の未収監など,普通起こるものではないのである。まずは在宅事件の場合(重大な事件でもなく逃走や証拠隠滅のおそれもない場合は,逮捕勾留されずに在宅で起訴されることがある),執行猶予が付かずに実刑判決が確定しても,もともときちんとした環境下にあるのだし刑期も長くはないので,判決確定後の呼び出しには出頭するものである(収監が嫌だからと逃げても,ずっと逃げ切れるものではない)。身柄事件の場合でこれが起こるのは,起訴後保釈された場合に限られる。ただし,一審で実刑判決が言い渡された時点で保釈は失効して直ちに収監されるので,今回のような事態が起こりうるのは,控訴をして再保釈が認められた場合に限られる。
控訴審では一審と違い,被告人に出頭義務はなく(刑事訴訟法390条),たとえ判決時に出頭したとしても直ちに収監されることはない。本件容疑者の罪名は窃盗と覚せい剤取締法違反で,どちらも常習性の極めて高い犯罪である。であるから検察は保釈そのものに反対したはずだが,地裁はこれを認めた。逃亡のおそれは保釈保証金で担保する制度だから,たしかにそれ自体は保釈反対の理由にはならないといえばそうなのであるが…。問題は,控訴後の再保釈を認めたことである。一審判決は懲役3年8月の実刑だったから,二審もまた当然に実刑判決だし,刑期も下がることはない。前科2犯だったらしく,そもそも執行猶予のつく事案ではなかったのだ。今年1月24日,東京高裁が控訴を棄却し,14日後の2月8日,実刑が確定した。
横浜地検はすぐに出頭を要請しなければならなかったのだが,2月下旬以降何度要請しても出頭をしなかった。そして,実に4ヶ月後の6月19日午後1時過ぎ,地検事務官が警察官と一緒に収監に赴いたとき,容疑者は刃物を振り回して逃走したのである(=公務執行妨害罪。ちなみに逃走罪は,被拘束者についてしか成立しない)。地検の発表は遅れて午後5時頃。県警が緊急配備して,容疑者を公務執行妨害罪で逮捕したのは23日午前であった。この間,近隣住民はどれほどの恐怖を味わったことだろう。
実刑判決確定後の逃走者をとん刑者という。もちろんそれほど数があるわけではないが,26人程度いると聞けば,かなりの数というべきであろう。彼らはすでに起訴済みなので公訴時効(刑事訴訟法250条)は無関係だが,代わりに刑の時効にかかりうる(刑法32条)。懲役3年8月だと10年(同3号),つまり10年間逃げおおせれば刑の執行を免れるのだ。まあ,そこまでは考えていなかったにしても,娑婆にいれば覚せい剤も打てるし(そのための資金欲しさに窃盗をすることになる),刑務所にはできるだけ入りたくないのは事実である。この容疑者も常習的に覚せい剤を打っていたがために,それが尿から検出されうる期間(利尿剤を飲んで2?3日,普通であれば大事を取って,1週間を見ておくべき)はとにかく逃げたかったのだろう。いずれにせよ,極めて人騒がせな事件であった。
30年も前のこと,某地検に勤務していたとき,とん刑者を,事務官が張り込みのうえ,苦労してようやく捕まえてきたことがあった。たかだか懲役2年程度の判決だったのに逃げて,その2年後に捕まった(5年逃げおおせば刑の時効だった)。この間一度も風呂に入ったことがないらしく,臭くて困ったが,食料について聞いたら「コンビニがいくらでも捨てるので,ちっとも困らなかった」。本人もきっと捕まってほっとしたのではないか。逃亡生活は気が休まらず,恐ろしく疲れるものである。事務官いわく,「裁判所が簡単に保釈してくれるんで,我々の仕事が増える。裁判所が責任を取って捕まえてほしい」。
裁判員制度しかり,人質司法批判しかり,再保釈を認める傾向が強まっている。だが,今回のことで,裁判所も後々のことを考えてほしいものだと思うのである。検察事務官は武道の経験もないし,凶器も保持しない。そこは警察官に同道してもらわねばどうにもならないのだ。安全の国,日本。来年はオリンピックが開催される。今後こうした事件が起こらないように,真剣に考えなければならないと思うのである。