珍しく涼しかった7月が終わり,例年より10日近くも遅れた梅雨開けと同時に,例年通りの猛暑がやってきた。クーラーのない所はどこもまさに熱風である。幸い汗かきではないのでまだよいが,汗を拭き拭きびしょ濡れ状態で歩く人たちを見ると,本当に大変だなと思う。数年前,ひどい猛暑の8月(暑くて眠れず,「熱いトタン屋根の上の猫」だわと思ったことを思い出す),タクシー代を結局20万円ほど使ったことがある。クリーニングの手間と費用を考えると仕方ないと自己弁護していたのだが,まもなく麻やサマーウールを着ずにポリエステルばかり着るようになって家で毎日洗濯をする結果,タクシーに乗らなくなったのである(冬も暖かくて洗える衣料品が出来,生活形態を大きく変えている)。
しかし,来年,どうなるのだろう。そう,東京オリンピックである。日本人でもとうてい耐えられないこの蒸し蒸しした不快な真夏に,熱帯・亜熱帯地方の人はともかく,北米やヨーロッパの人々は耐えられるだろうか。熱射病で死人が出るかもしれない。そもそも8月が既定事実だったのならば(アメリカのスポンサー事情から他に何の放映スポーツもない8月になったと聞く),この猛暑が分かったうえでオリンピックをあえて誘致した日本という国はどれほど非難されるだろうか。その頃に発生するのは必定の通勤地獄がどうなるのかということも切実なのだが,それ以上に気がかりである。
さて,今年も親しい人がすでに何人か亡くなった。80歳を越えていれば天命だったのかなと諦めもつくが,まだ若い60歳代で亡くなられたりすると,ご家族の思いもさることながら,ご本人はどんなにか無念だったろうと思う。人はお互いが貴重な財産である。生きていてくれたら今こんな話も出来たし,どんなにか勇気づけられただろうと,これからもきっと思う。「私にもしものことがあったら先生には家族のことをよろしくお願いします」と言われたことを,先日「偲ぶ会」でご家族にもお伝えした。あちこちで頼りにされているのだから(笑)心身共に健康で過ごさなばならないと切に思う。
生きてはいても認知症になってしまうと,ある意味では亡くなられたのと同じことになってしまう。30年来親しかった友人(70代女性)が認知症になって,そのうちに私との記憶もなくなってしまうからとお別れを言われたのは昨年のことだった。この3月に会った知人(80代男性)は,いつものように大変元気だったのにその翌月外出先で倒れて病院に運ばれたところ,脳に穴が空いているが手術は出来ないと,まもなく退院させられ,リハビリテーションセンターで過ごしている。経口摂取はずっと出来ず,今は胃瘻にして,水も飲めないそうだ。とても記憶力の良い人だったが,話は支離滅裂になっていて,通じないという。よくいろいろな話をしたことは,もはや思い出である。
原因はいろいろあるらしいが,認知症になる人は結構いる。もしかして認知症?と疑っている人もいる。いったん罹患するともはや治らないが,ただ投薬で進行を遅らせることは出来るそうだ。もちろん飲み忘れるので,周りの人がきちんと見張っておかねばならないのだが。心身共に健康でおられることは,何よりも感謝しなければならないことだと改めて思う。