ついに緊急事態宣言である

4月2日夜に緊急事態宣言が出る、21日間──との情報を、結構確かな筋と思われる所から受けたのは、3月末。東京がロックダウン(首都閉鎖)になるとの小池知事の言葉を、つい信じそうになっていた。もちろん冷静に考えて、日本ではそうした法的根拠はないのだが、デマの心理というのは恐ろしいものである。

4月最初の週末(4・5日)はまたしても自粛要請で、銀座はじめどこも百貨店が軒並み休業するなどし、人通りもなかったらしい。その翌週末も休業なので、百貨店に行くのはその後だわと思っていたら、なんと昨夕緊急事態宣言(5月6日まで!)が出て、今日からビシッと休業である。あ?あ、用事があったのに。こんなことなら、平日夜に行っておけばよかった‥。後悔しても、時すでに遅し。神戸にいた子供の頃、百貨店に連れて行ってもらうのは晴れの行事で、それはそれは楽しみだった。1ヶ月半も百貨店に行かない生活は、たぶん生まれて初めてのような気がする。百貨店に行っていろいろな商品を見、買い物をすることは、気分転換に最高だったと、改めて気がつく。

外出を控えさせて感染者数が減れば、前倒しで解除するだろうか? 否、解除して、もしまた感染者が増えれば非難が激しくなるから、たとえ減っても結局のところ、所期通りにはやるのだろう。反対に、延期は充分にありうると思われる。武漢では2ヶ月半の完全封鎖が効を奏したとして本日封鎖を解除するそうだが、結果、また増殖するなんてことはないのだろうか、心配だ。もともと中国では隠蔽はお手の物なので、本当に減ったのかどうか、そもそも疑わしい。

調停はもちろん、裁判も(身柄事件は別として)すべて中止になった。延期期日も現段階では決められず連休明けになるから、恐ろしく法廷が混雑し、夏休み返上になるのかもしれない。学校も閉校分の勉強が持ち越され、やはり夏休み返上かもしれない。大学では閉校中ネット授業を実施するとのこと、明日はその研修で大学まで行くことになっている。今年1月6日に最初の報道があった新型コロナウィルス(中国では12月はもちろん、11月にはすでに把握されていたと聞く)が、世界を大きく変えた。ワクチンなり特効薬が出来ることによりいつかはこの騒動は収まるだろうが、しかし様々な意味において、このコロナがなかった以前の時代にはきっともう戻れない。それくらいにこの災厄は凄まじい。

感染しない・させないために、「外出をせず3密を避ける」のスローガンの下、観光業界、小売業界、飲食業界(特にカラオケや夜の飲食業)の売上げはがた減りで、それはことに、規模が小さい自営業を直撃し、非正規労働者の収入の道を閉ざしてしまう。その補償を政府は様々に講じているようだが、財政は無限ではない。しかし宣言を出す以上、たとえ自粛要請でも基本的には強制に近いのだから、従う国民の苦しみを政治が分かち合うために、国会議員が歳費のせめて10%(できれば20%)を削減する案が与野党共々なぜ出ないのだろうか、不思議にすら思う。

自宅から出るなと言われても、狭い家に、仕事に行けない大人と学校に行けない子供がひしめき合っているのは、心身共に辛いことである。すでに事実上の1ヶ月が経過した後の、さらにまた厳しい1ヶ月となる。DVも増えていると聞く。収入が減った云々のやりとりで、夫が妻を殴って死亡させた傷害致死事件も報道された。2ヶ月という長い期間を、家族が揃って心身共に健康でやり過ごすというのは口で言うほど簡単なことではあるまい。互いの思いやり、社会の連帯意識を強く持ちたいと願うものである。

カテゴリー: 最近思うこと パーマリンク