大型連休に入ったけれど‥(Midnight in Broadcast Daylight の読後感想)

今月25日(土)から5月6日(水)まで、中4日を休めば12日間の大型連休である。気候はいいし、例年ならば嬉しいことかもしれないが、今年は、海外はもちろん、近場の観光地にも行けない。庭付きの大きな家ならいざ知らず、大人も子供も狭い家に閉じこもっていては、心身共に不健康なこと、この上ない。ストレスが溜まって、互いに無用な喧嘩が始まり暴力沙汰も起こるだろうから、子供が家出して変な事件に巻き込まれなければよいけれど‥。老人はデイケアに行って人と話すこともできないし、施設入居者も面会を拒まれ、いずれにしてもこの間に認知機能が衰える可能性が極めて高い。大体が人との接触8割減の要請なのだから、友人知人との交遊が希薄にならざるをえないのである。会食は、3月25日が最後だった‥。

大学は当初、常より2週遅らせて4月20日開始とのことだったが、緊急事態宣言を受けて5月11日開始となっていた。最近、その最初の2回は遠隔授業にするので、第1回目の録音その他を5月7日までに送るようにとの通知が来た。なにせ初めてのことなので、大変だ。私よりもっと操作に慣れない年輩の方もいるはずで、嘆いておられることだろう。聞くところによると、早々と前期授業はすべて遠隔事業にしてしまった大学もあるそうだ。

学生はみな戸惑っているだろう。ネット環境として、パソコンをきっちり持っている学生は一体どれほどいるだろうか。スマホしかない学生が多いと思われる。その小さな画面でレジュメを見、かつ(これまで会ったこともない)先生の、録音された言葉を聞いて、どれくらい理解できるだろうか。ラジオの語学講座をイメージせよと先輩教授が教えてくれて、グッドアドバイス!と喜んでいたら、語学講座では手元にあるはずのテキスト(教科書)が5月末位にしか入手できないだろうというのである。あれ、まあ。嘆いていても仕方がないので、始めるより外はないのだけれど。

しかし、かなり多くの学生にとって今の状態は、まともに学べないということもさることながら、生活に直結する死活問題となるだろう。自らのバイト先がなくなる。仕送りを当てにしていた親の収入もまた、自営業だったり非正規労働者だったりしては、見込めない。学費だけは奨学金で何とかなるとしても、その余の生活費がゼロとなっては、学生を続けることも難しい。きっと休学ないし退学も増えるはずだ。今回の緊急事態は、ひとり外で働けない大人だけではなく、学生や子供も巻き込んだ大きな社会問題なのである。

毎夜その日の新感染者数を気に掛けているのだが、昨日は、13日ぶりだかに東京は70人余と、2桁になっていた。どうぞこのまま減ってほしい。そして、緊急事態延長などどうか、なしにしてほしい。もちろん、最も恐れるべき医療崩壊を考えれば、全面的な解除ではなく段階的解除にはなるだろうが、今の緊急事態状態をただ続けるのでは、社会が死んでしまう。

生命は経済(金)に勝ると言えば、誰も正面切って反対はできないが、金がなくては実際、生きていけないのだ。その日暮らしの人も多いし、それどころか、借金もみれの人も結構いる。金銭的保障はする、無利子で貸すとかいっても、国や地方自治体の財政も無尽蔵ではないし(国が潰れたら、どうなる?)、借金はいずれ返さなくてはならない。大学1年の時に読んで感動した、サマセット・モームの自伝的小説『人間の絆』(悪女ミルドレッドに振り回される情けない男が主人公である)中に(私の記憶が間違っていなければ)「金は第6感のようなもので、それがなければ他の5感は働かない」「金がないのは命がないのと同じことである」との言葉があった。高邁な思想や、豊かな文化がなければ人間の生活としては寂しいが、金がなければ生きていけないのは現実である。

暇でしょうと知人が、Midnight in Broadcast Daylight という、日系アメリカ人家族の話を貸してくれた。戦前に広島から米国西海岸に移住した1世が父親(母親は広島からのいわゆる写真花嫁)、2世の子供5人は米国で生まれて米国籍を持つが、父親が亡くなった後困窮した母親に連れられて広島に戻る。うちハリーは姉と共に、心情的に馴染んでいる米国に戻るが、収容所に容れられ、米軍に志願して通訳官になる。激しい戦場に赴き、修羅場をくぐりながら、出世していく。一方、兄ビクターと弟フランクは日本で徴兵され、かろうじて生き延びる。広島に原爆が落ち、神戸に赴任したハリーはその秋、部下を連れてジープを駆って広島に行き、被災した母親の家を訪ね当てる。老いた母親は、急に訪ねてきた軍服姿の立派な男が、何年も離れている息子だと気づかない。視線がさまよう。ハリーが言う。「お母さん。〇〇(日本名)です。ただいま、帰ってまいりました」。

このシーンで、思い切り泣けた。もし、I`m home. だったらそれだけだった。この短い謙譲語に、親子の情、故郷への思いが図らずも集約されていると感じた。ノンフィクションである。ハリーとフランクはそれぞれ成功して、余生をハワイで暮らした。2人とも2015年死去。著者(ユダヤ系アメリカ人女性)は17年も日本で暮らし、ハワイ在住で2人をよく知り、多くの関係者に取材を重ねた。労作である。著者自身日本語に堪能なので、ご自身でどうか日本語版を出し、日本人に読んでもらいたい。世界中の人に読んでほしい。ナチのユダヤ人迫害には及ばないまでも、米国籍の2世も含め、ただ憎い日本人だからというだけで1万人以上を収容所に送り監視した、アメリカの憲法に違反する負の歴史を、アメリカ人もあまり知らないのだそうだ。こういう時代に比べれば、今は食料もある、家もある、表現の自由があり、徴兵制もなく爆撃もない。そう、もちろんあの時代と比べるのは僭越なほど、今は恵まれすぎているのではあるけれど‥。

あと、読みたい本があるのだが、遠隔授業の準備を無事に終えてから手をつけたいと思う。よく通っている区立図書館が3月末以降急に閉まってしまったのがちょっと痛いのだけど、まとめてじっくりと読書するのに、とても良い機会ではある。だが、それでもどうか‥来月6日までにしてほしい。

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