時々、まさに「目から鱗」の考えに行き当たることがある。少し前になるが、「書斎の窓」(有斐閣)今年1月号の「平らな鏡で世界を見れば」(辰井聡子)がそれだった。隔月発行の連載第4回(日本の近代──国家篇)。以下は少々長くなるが、その文面を引用しながら、日本の近代化が欧米のそれとはもともと異なること、それ故日本では政府の地位が軽いのだということについて、触れてみたい。
連載第2回(2020年9月号、リベラル・デモクラシーの来歴)の冒頭には、我々が歴史の進化として信じるストーリーが簡単にまとめられている。いわく「古代文明の衰亡後、自給自足的な農業経済に戻った人類は、封建身分秩序の下で、宗教を信じ、しばしば不都合な因習にとらわれて暮らしていたが、農業生産の増大や貨幣経済の広がりにより都市や商業が発達。封建的束縛から逃れ、『個』を確立した市民が、文化を担い、政治参加、経済活動の自由を勝ち取って、新しい自由で民主的な社会を作り上げた。大きな戦争などの紆余曲折はあったが、民主化と工業化を達成する地域は広がり、科学技術の発展にも助けられ、基本的には豊かさを増す形で歴史は前進している」と。
この基底には、大家族共同体による農業経営→資本主義経済の勃興→個人主義的な核家族システムの普及、という「下部構造」の変化があると推察されるが、事実は違うのだ。なんとイングランドでは1250年頃(鎌倉時代に入ったばかり)には現在とほぼ同様、核家族制度が主流であったのである!(よくぞまあこんな大がかりな調査が可能なことである。) 彼らは最初から自由で個人主義的であり、まさにそのイングランドから、経済的自由主義と政治的民主主義を組み合わせた近代システムが発生した。「自由で個人主義的な農民が、自由で個人主義的な市民になった」だけなのだという。
では日本はどうなのか? その助けになるのが人類学的システムであり、フランスの誇る世界の叡智エマニュエル・トッドは、国や地域に特徴的なメンタリティの基層にあるのが、近代化以前の家族システムであることを発見した。重要なのは2つの分類軸であり、親子関係の二分法(自由/権威)が社会の縦の関係を、兄弟関係の二分法(平等/非・不平等)が横の関係を定義する。大きく分けて、(1)核家族(アングロサクソン諸国、フランス等)(2)直系家族(ドイツ、日本、韓国等)(3)共同体家族(以上、第2回)
トッドいわく、「人類史の起源に、核家族があった。狩猟採集、焼畑による移動農耕で生きる人々には、土地を子に受け継ぐ必要も、分割する理由もない。そのため、親子関係、兄弟関係を定義する厳密な規則が生じることはなかった。定住が始まると、農業の中心地では土地が稀少になる。同時に、限られた土地を最大限に活用するために、集約的農業経営が必要になる。こうした状況が、親の権威と財産を一人の子供に継承するシステムである、直系家族の発生を促した。その後、大陸では、直系家族となった農耕民が、軍事的に発展を遂げた遊牧民(典型はチンギス・ハンとその息子ら)と出会う。最大限の父親の権威の下に兄弟が集まる共同体家族が、直系家族と遊牧民の相互作用から生まれ、最も発展した家族システムとして、ユーラシア大陸の中心部に広がった」。
トッドによれば、イングランドの核家族が表す、自由主義、個人主義といった価値は、近代化に伴って生まれた最先端のモードではなく、歴史に抗って残存した、最も原始的な社会のものである。議会制民主主義、法の支配の原則、基本的人権の尊重、権力分立等からなるリベラル・デモクラシーや、自由主義経済体制は、近代化の普遍的次元ではなく、これらの「近代化」システムは、人類学的にいえば核家族の特徴の現れであり、イングランドの後進性が生み出したものということになる。国王に対抗する貴族たちは「マグナ・カルタ(大憲章)」を作出し、議会は意見を言うにふさわしいものが集まって意見を言う場であり続けたし、立憲君主制が確立しても議会の力が強く、国王の在り方が議会との取り決めによって制限されるのはイングランド社会が最初から持っていたものである。つまり、各国それぞれに、その「近代」があるので、日本が「イングランドやフランスやアメリカの近代」を頭に描いて、それに届かないというのは間違っている。(以上、2020年11月号第3回 近代化とは?──普遍性と多様性)
前置きが長くなったが、ここからが本番だ。「社会について考えるとき、多くの人は、政治や法に思いを馳せ、諸外国と比較して、がっかりしたり絶望したりするが、日本に関していうと、それはかなりもったいないことであり、ややバカバカしくもある」。近代国家をいち早く形成したのは絶対核家族のイングランドであるが、農村の相互扶助ネットワークから切り離された個人は、何らかの公的な仕組みがなければ、病や老いといった状況を乗り切ることはできなかった。国家の機能は、近代化の過程で失われた「ゆるやかな親族集団」に代わるものであり、16世紀(ヘンリー8世からエリザベス1世)に救貧法を作って、福祉国家の先駆けとなる。対して、直系家族は、なんとなく存在した親族集団を、世代間の権威関係と兄弟間の序列によって構造化し、家族システムに取り込み、やがて社会全体が強固な安定性を獲得していく。核家族では「公」の機能は家族の外部にあるのに対し、直系家族では「公」が家族システムの内部に取り込まれたのである。
直系家族システムの重要な特徴は、社会を統制し、安寧・秩序を維持する機能が社会のあちこちに偏在し、決して中央に集中しているのではないことである(ことに共同体家族システムとの対比)。「それぞれの家族が長く続くことを目的としたシステムであり、社会を構築するそれぞれの組織が安定を保ち、他を侵さないことによって、結果として全体がまとまるという構造になっていて、天皇という存在はこの例証の1つであろう。天皇は、それぞれの家が共通の祖先を持ち、この土地で長い年月を過ごしてきたことの「象徴」であり、日本の人々が天皇の永続性を願うのは、それがイコール自分たちの家の永続性だからである。」
「このような社会にとって、近代国家(=中央政府)とは一体なんだろう。政府がなくても社会は回り、秩序は保たれる。日本国民としてのアイデンティティも確固としている。おそらく日本国民にとって政府とは、主権機能を担当する官僚組織の一部門、という感じではないだろうか。安定を旨とした官僚組織なのであるから、選挙でしょっちゅう交代などしてもらっては困る。だからその役割は、1955年以降、自民党──政党政治における長男のポジション──が担うものと決まっているのだ。
こう考えると、日本で政権交代がめったに起こらない理由がはっきりする。日本のような国では、政権交代とはクーデターである。自民党総裁の出来が少しくらい悪くたって、長男は長男なのだから、引きずり下ろすなんてとんでもない。政府など最初から自分たちの生活とは大して関係がないのだから、自分たちが頑張ればよいことだ。これが「バカ殿」の伝統を持つ国の民の行動様式であろう。
そこで、まずは政治に関心を持つ若い人たち、とくに、日本の政治に絶望感を抱いている人たちにお伝えしたい。日本の政治家が諸外国に比べて見劣りするのは、日本における政治の比重が低いからである。日本は政府なしでもある程度やっていける社会であり、政治家は国民のリーダーの地位にはない。政権交代が起きないのは、交代による混乱よりも「(たとえバカでも)長男を長男の地位に置いておくことによって得られる安寧秩序」が選択されているからである。これまでのところ、国民の多数は、選挙で自民党に投票し続けることによって(あるいは投票を棄権することによって)「そのような日本社会のあり方」を選んでおり、日本はそのようなやり方で民主的なのである。」
辰井氏が言うには、日本のあり方が米仏のリベラル・デモクラシーと大きく異なるのは、中央政府の重量に加え、その位置づけの違いから来る。後者の顕著な「近代化」特徴は、核家族における国家=政府の「外部性」と大いに関係があり、政権は代表であって身内ではないので、「誰にやらせるかはその時々の都合で好き勝手に選ぶし、その行動を制限し、監視し、批判もしなければならない」。対して前者は政府が家族システムの内部にあるので、事を荒立てるのは忌避される。民衆もジャーナリズムも政府に甘いが、これは「秩序の維持を最優先する日本社会の無意識に合致したものであり、日本の人々が自らの行動によって選択したきたものであることに、疑問の余地はない。」
つまるところ、「日本の近代は、リベラルではないが、民主的ではある。従って、もしこの状況を変えたいのであれば、交渉すべき相手は権力ではなく、民衆である」。「このシステムが、これまで、安定した豊かな国の実現にまあまあ成功してきたことも否定しがたく、英米仏と異なる部分を取り上げ、直ちに「非民主的」「遅れている」と評価するのも公平ではない。」(以上、上記第4回)
日本の民主主義は民衆が血と汗で獲得したものではなく、戦後アメリカによってもたらされたものであるとは度々言われることである。故に国民は怠惰であり、与えられるのを待っているばかり、いつまでもそれではいけないのだと言われてきた。私も頭ではそう思いながら、また多くの人がそう思っているにかかわらず、長年何も変わらないことについてどう考えたらよいのだろうと思っていた。辰井氏の言う「識字率の向上」が近代化の1つの指標というのは他国ではともかく、もともと識字率の高い日本では同じには論じられないであろうこと(故にここに引用するのも割愛した)、また同じく直系家族であるドイツの近代化というのはどのように位置づけられるのか、それに関心があることを付記しておく。