麻原の死刑確定など

 前に書いてからあっという間に,1ヶ月余が経過。
 明日からまた大学の後期授業が始まる。今日まで1ヶ月半にわたって週1日の大学通いがない上,弁護士業もゆっくりしていたが,これも今週からぼちぼち忙しくなりそうだ。

 昨夏は「郵政解散選挙」であちこちに応援に行っていた。
 総裁選挙が終わって,改めて思うことは候補がすべて2世3世だったことだ。再チャレンジが出来る社会をと謳うが,現実にどんどんと格差が広がり,二極化しているなか,失敗を前提にした再チャレンジがそもそも不要な層がそう言ってもなあと思う。志ある有為な者が誰でも選挙に出られ,かつ総理を目指せるような社会をと願う。中選挙区のほうがよほど新陳代謝が可能であった。
聞くところでは,新総理は経済に疎いとのこと。外交は単純な二国間の問題ではないし,経済とは切っても切り離せないから是非強くなっていただきたい。教育改革はたしかに最重要事だが,改革の中身が問題である。私は,初等教育における国語教育,すなわち人間としての基礎教育が最も大事だと思っている。すなわち,原点に戻れ。昔は実にいい教育をしていたと思うのである。私とたまたま同級生にあたる新総理には,これから様々な声に耳を傾け,柔軟な対応をしていただきたいと願う。

 この間,刑事司法の分野で特筆すべきことは,飲酒運転事故の多発,加えて今月15日,控訴審が開かれないまま,麻原の死刑が確定したことである。
 これについて,真相の究明がなされないままだとの批判がマスコミでは強いが,私の周りでは逆に,なぜもっと早く死刑にしないのかとの声のほうがずっと強い。
日本では裁きをしてくれる神が不在だから,裁判に真相解明を望む声がどうしても強くなる傾向がある。だが,人間ができることにはもともと限りがあるし,また当事者が語る「真実」には虚偽が多いので,過大の期待は禁物である。
諸外国であればどうしていただろうか。まずは,麻原が穴蔵に籠もって出てこなかった時点で警察が射殺したであろう国が多いのではないか。「簡易な死刑執行」だ。もし捕らえて裁判にしていたとしても,そもそも刑事司法制度が日本ほど詳細な事実認定を要請していないので,こんなには絶対にかからない。
 死刑が確定した以上,刑事訴訟法上半年を目処に執行されるはずだが(475条・476条),現実には法務省で改めて精査し,また法務大臣が署名したがらないことも手伝って,現在100名近くが未執行とのこと。昨今,犯罪の凶悪化に伴って増えたとはいえ死刑宣告は年20名にも満たないくらいなのに,である。麻原の死刑執行に至ってはずっと先になりそうだ。

 3年後には裁判員制度が始まる。素人裁判官が審理に加われば,裁判の迅速化はもちろん不可避である。集中審理をし,とにかく早く終わらせること。でなければ,素人が前の審理を覚えているはずはないし,出頭の確保もできないからである。膨大な書面を審理することで詳細な事実認定をしていたところにもって,口頭でどんな説明をし,どんな事実認定をしてゆくのか。事はひとり刑事司法制度を超えて国民性をも左右する問題となる。

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