東京3弁護士会主催「模擬評議」、大変勉強になりました!

この土日(8月21・22日)、各午前9時?午後5時のズーム配信で、裁判員裁判の模擬裁判・評議が実施された。模擬裁判についてはこれまで弁護士会に行って受講したことはあるが、ズーム配信受講は初めてである(コロナの影響でほぼすべての研修会はズームとなり、非常に助かっている)。期待はあまりしていなかったのだが、今回はまさに「目から鱗」! ちなみに裁判官も検察官も現職だ(裁判長は担当してもらったことがあり、よく知っている)。弁護人ももちろん本当の弁護士である。裁判員6人はどうやって選んだのかは知らないが、一般の人であるらしい。

これまで取り上げられた事案とは違い、今回は初めて「公訴事実に争いのある事案」(傷害致死事件)であった(従来は量刑判断が中心となる事案ばかり)。被告人40歳前男性は180センチ弱、80キロ位。夜、会社からの帰り、人通りのある道で酒に酔っている被害者68歳、162センチ、60キロ男性から、被告人の自転車が当たったことから?絡まれて、殴られ?かっときて顔面を殴ったところ、被害者が転倒して鼾をかき出した。救急車を呼んでもらい救急搬送されたが、翌日死亡。目撃者は、新聞を見て名乗り出てきた男性が一人。視力は1.5だがじっとその場で見ていたわけではない。

弁護人は冒頭から、正当防衛だとして無罪を主張。各証拠調べの後、証人尋問と被告人質問が実施された(裁判員がなかなか良い質問をしている)。被告人は「(自分も逮捕勾留されて会社を首になりそうになったし)遺族には謝るつもりがない」。遺族(娘)は、被害者陳述(尋問ではないので証拠にはならない)において、「父に育ててもらった。唯一の家族。父は動物にまで優しかった。それを被告人に、さも暴力的な人間であるかのように言われて、許せない。死刑を望む」と陳述した。論告で検察は、量刑相場から「懲役6年」を求刑。弁護人は「被害者から顔を何度も殴られたりして(もっとも、翌日接見して被告人の手の写真を撮りながら、顔面は撮っていないので、その跡はなかったと思われる)、最後、防衛のために顔面を1回殴っただけである。その結果相手が死んでしまったら傷害致死として有罪になるのであれば、裁判員の皆さんも怖いでしょう」といったことを、冷静沈着に述べた。そもそも正当防衛が成立しないことは被告人ではなく検察官が立証責任を負うことであり、それが立証できなければ「疑わしきは被告人の利益に」。それが裁判の鉄則であると。その通りである。

さて土曜の午後2時15分以降、続く日曜は丸々評議である。実際の評議は公開されないので、どんな評議が行われているのか想像でしかないのだが、現職の裁判官が仕切っているので実際このように行われているのだろう。最初に裁判長が各裁判員に感想を聞いたところ、正当防衛は成立しない、との意見が多数であった。もっとも正当防衛(刑法36条)がどのような場合に成立するかについての説明は、少なくとも法廷ではなされていなかったし(そんな講義をしていたら時間がいくらあっても足りない)、素人なので刑法の正しい理解に基づいているとも思えなかったが、被告人は処罰されるべきだというのが一般人の常識的見解のように思われた。

評議のほとんどが事実認定に費やされた。それぞれに的確な意見が出て、皆さん実によく見て、真面目に考えているものだと感心させられた(たまたま知的に優れた人ばかりを選んでいないか?)。速記録も出ていないのに、証人の供述も細かく正しく手控えをされておられた。これだけ多角的な意見が出てくるのならば、3人の裁判官だけで評議するよりよほど良いのではないか? そして最後、それぞれの意見を聞くと、やはり「正当防衛は成立しない」との意見であった。明らかな体格差がある、被告人は逃げようと思えば逃げられた、防衛するためにならば顔面は狙わず顔から下を狙う…等々(どれもその通りである)。うち2人が「過剰防衛」(刑法36条2項)だと(うーん、これを言い出すと、本当は刑法を正しく理解していてもらわないといけないのだが)。情状を汲んでやるべきだとも。量刑判断まで行かなかったので、結論としてどのような量刑になったのか非常に興味のあるところである(実際の事件をモデルにしているはずなので、実際の量刑がどうなったのか)。

執行猶予が付くためには懲役3年以下の量刑でなければならない(刑法25条)。そうなるためには求刑の半分にする必要があるが、なかなかハードルが高い(求刑の半分になり執行猶予がつけば、検察官は量刑不当であるとして控訴する)。正当防衛(無罪)主張→遺族にも謝らない(もちろん金銭支払いはゼロ)は、被告人自身の発案なのであろうか?そうではなく、弁護人がそう導いたのではないだろうか?その結果反省の色がないとして求刑は高くなるし、その結果執行猶予が付かないことになれば、不利益は被告人が背負うことになる。弁護人としては、一般人が裁判(事実認定)をすることを考えればよけいに、一般人の考えそうなことを思いやり、理論だけで押し通すことは避けるべきである。急に不正な侵害を受けた者は臆病である必要はなく、逃げられたとしても逃げなくて応戦してもよい…と刑法の教科書には書いてはあるが、裁くのは専門家である裁判官だけではないのである(3対6で一般人が数で勝るのだ)。一般人は、仮に自分がその立場ならば、と考える。普通の人は暴力反対だから、逃げるよね、仕方がなかったとしても顔面は狙わないよね、と。

裁判員裁判が始まってから弁護士会研修でよく言われることだが、我々専門家の間では通じていたことが通じないと。例えば「被告人は若いので軽い刑罰が相当」というのは、「若くてこんなに悪いことをしているのならば悪性は進んでおり、もっと悪いことをするだろう(だから厳しい刑で臨むべき)」と考える。「被告人は過酷な環境で育ったので情状を汲み、軽い刑罰相当」というのは、「周りにやっぱり過酷な環境で育った人はいるが、だからといって犯罪には走らず、真面目にやっている(そんなことまるで言い訳にはならない)」となる。いちいちご尤もである。

今回の研修には大変感心したので、社会部記者の友人に教えたところ、「そうなのです、一般人の生活感覚は大事です」と言い、「暴れる子供を止めようとして教師が暴力を振るったのを体罰禁止の趣旨で書いたら、クレームがたくさん来た」とのこと。「あのね、それこそ正当防衛であり、教師の暴力は、程度さえ超えなければ違法性を阻却しますよ(自身だけではなく、周りの人たちを守る場合も同じように成立する)」と呆れた。教師が手をこまねいて学校内の暴力を止められなかったらそれこそ職務怠慢であろう。記者は一般人ではないのだから、ちゃんと法律も勉強してほしいものである(友人は一流大学の法学部を出ているが、心許ない…)。

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