26日(火),後期授業が始まった。奈良の女児誘拐殺害事件の判決が10時に予定されていたが,すぐに親しい代議士から電話が入った。「小林の判決,どうなるのかなあ」「判決言い渡しは?」「それが,主文なしに理由に入った……」「あっ」思わず声が弾んだ。「じゃ,間違いなく死刑ですよ」「ホント,良かった!」
判決の言渡しは主文→理由だが,死刑宣告の時だけは理由→主文となる。死刑と聞いて被告人が卒倒すれば判決の言渡しが続けられないからである。
10時40分,「刑法総論特講」の教室に入ろうとしたら,学生が一杯! 100人近くいるだろうか。前期の「刑法各論特講」は履修届約80人。実際の受講はその半分程度であった。
授業はいつも,最近の事件の話から始める。それが実務家の強みで,実際,学生らはよく聞いてくれる。この日は話題が盛りだくさんだ。なにしろ2ヶ月も休みだったし,事件はひっきりなしに起こる。まずは奈良の事件。そして麻原の死刑確定……。
みな私語もなく熱心だ。終わって,最前列の学生が「先生の話は面白くてためになると聞いたので……本当に面白かったです」。たぶん,レポートで単位をくれるとの評判もあるだろうと思うが,悪い気はしない。私もますますやる気が出るし,となると学生もよく聞いてくれて,互いにいい循環である。
死刑判決は当然である。
被害者が一人であるにしては画期的であるとの論調が多いようだが,以前山口県光市の事件でコメントしたように,この種量刑で必ずと言っていいほど引き合いに出される永山事件は単なる殺人であり,わいせつ目的や女児殺害が絡む事件とは罪質が大いに異なる。私に言わせれば,逆に,この種事案の量刑が軽すぎるのである。
従前,被害者が一人でも死刑になりうる罪種は,「強盗殺人」「身代金目的誘拐殺人」「保険金殺人」とされていた。強盗殺人(致死)は,強盗は容易に殺人に結びつく危険な犯罪類型であるとの考え方からそもそも法定刑が「死刑又は無期懲役」(刑法240条)と格段に重い。後2者は異なるが,金銭欲と結びついた殺人は危険であり重罪をもって臨むべきと考えられていたといっていい。
最近ようやくに気づいたことだが,刑法はそもそも財物の価値を,人の貞操や性的自由の価値より上位に置いているのである。強盗「6年以上20年以下(昨年1月の改正前・7年以上15年以下)」に対し,強姦「3年以上20年以下(同・2年以上15年以下),強制わいせつ「6月以上10年以下(同・6月以上7年以下)」,強姦・強制わいせつ致死「無期又は3年以上20年以下」。
また,身代金目的誘拐は「無期又は3年以上20年以下」だが,奈良の事件のようなわいせつ目的(営利目的もだが)誘拐は「1年以上10年以下」でしかない。もしこれらの罪の法定刑が上がれば性的犯罪を伴う殺人も量刑が重くなるはずだが,実務の運用だけでもずいぶん変わる。
いたいけな少女が何の落ち度もないのに獣欲の犠牲になり,その家族が永遠に地獄の責めを負って,いいはずがない。