新年の意識が年々薄れている。そもそも街の様子は変わらず、店はどこも開いているし、大して寒くもならない(今年は少し寒いが)。それ以上に近年はコロナ禍のおかげで、日捲りカレンダーのように毎日を無事にやり過ごすことが大事になって、月単位でもなく、まして年単位でものを考えることが後回しになったような気がする。
年賀状はこの度心を込めた手書きにして、数をうんと減らした。でなくても会社関係は虚礼廃止だし、よく会う人交信のある人には不要だし、親しくない人に手書きでは書けないので、自然減るのである。減らしてもちっとも困らない。ああ、良かった。そして新年早々授業内試験を終え、採点も成績登録も済ませた。論述式2問形式はずっと変わらず、模範解答と採点のコメントを書いたのをLMSにアップするのだが、追試験申し出期限が26日らしく、まだアップできずにいる。4月以降の来季の準備もいろいろやらねばならない。
新年の歌舞伎には例年、2回行っている。国立劇場は尾上菊之助一派の『南総里見八犬伝』、新橋演舞場は市川海老蔵の新作歌舞伎『ブペル』だった。後者は海老蔵の4役早変わりもさることながら、海老蔵の子供2人が日替わりで登場するのが売りである。この子たち、学校行けているのかなあ…と他人事ながら心配になることもあるが、そこは蛙の子は蛙で、根っから演芸が好きなのだろう。2人とも声量があり口跡がはっきりしていて、所作も美しい。私は嫌よ、遊びたいもの、稽古は嫌…と駄々をこねるようなことはしないのだよねえ。小さいながらに、自分たちのやるべきこと、置かれた場所(大げさに言うと運命か…)が分かっているのだと思うと、泣けてくるものがあった。
伝統芸能の世界は基本的に世襲である。その他先祖伝来の伝統や歴史を子々孫々に繋いでいくべき家は多々あるはずだが、そのトップであるはずの皇室が、公よりも私優先なのだということを、まざまざに見せつけたのが今回の内親王結婚騒動であった。であるのに、私の周りでも結構、「他人の家のことには関心がない(!)、あれこれ言う立場にはない」とか、「自由がなくて気の毒だ、結婚は自由じゃないか」と言う人も珍しくなく、かえってびっくりさせられた。それだけ「自由」が横行してしまっているのが戦後の教育というわけだろう。自由は規律・責任とパックになったものであるが、ただ自由気ままの世界になってしまっているのだ。
子供は勝手には育たない。親の背中を見て育つものである。親自身が皇室にいて窮屈だ、できたらこんな所にはいたくないと口で言い、また行動にも表しているのであろう。学習院に行かせなかったことに始まり、勝手な自由恋愛とやらに任せ、身元調査もしなかった(普通の家でもしているのに)。身を挺してその暴走を止めるような人もいない。そうした家風に子ら3人ともが染まっていると考えるのが自然である。今度は特別枠で進学高校に行かせるそうだ。親の見栄で(?)分不相応な所に行くのは本人にとっても不幸なことだが、これも誰も諫める人がいないのであろう。そういう人たちが、次の、そして次の次の天皇になる…? しかし、姉同様、嫌だといって放り出すかもしれないし、そもそも「日本の象徴」になって大丈夫なのだろうか? そういう教育がなされているとは、残念ながらとうてい思えないのである。
古来日本には女性天皇はいたが女系天皇はいなかったのは事実だが、皇室典範を改正して女性天皇を認めたとして、愛子さんが結婚してもその子供は男女を問わず天皇にはなれない、と言うのであれば、その場凌ぎの時間稼ぎにしかならず、皇室メンバーが少なすぎることへの救済措置にはならない。男系天皇しかダメと言ってみても実際いないのだし、ヨーロッパは女性も女系も認めているのだから、せめて男系優先だが女系も可としなければ皇室制度は続きはしないであろう。女性皇族が結婚して宮家を作るといっても(眞子騒動は、これに否定的な意見を多くしたであろう)、女系天皇を認めなければ意味のないことになるし、旧宮家の男子を戻すといっても普通に育った人たちを俄に戻したところで、一般国民には皇族とは認めがたいであろう(それに、真っ当な生活を送っている人たちであれば、自由な生活を捨ててまで来るとは思えない)。「あるべき姿」を前提に議論している人たちが多いように思うが、事実を前提にしなければ何も始まりはしない。
大相撲今場所は、貴重な御縁に恵まれ、3回も観戦に行かせて頂いた。こんなに面白い場所は久しぶりのような気がする。そのしわ寄せが来て(?)今日は朝から出勤している。まもなく、2年以上会っていない年下の友人が、転勤で上京したのをきっかけに手伝いに来てくれる。事務所の大整理を始めているので、力仕事が出来る男性は有り難い。夕ご飯はご馳走するわ、と言ったところ、まん防が出ているのでそれはまた今度、お酒と肴を持っていきますとのこと。私も今朝出るときにいろいろ作ってきたし、出来合いのものもあるので、夕方からは大相撲をテレビ観戦しながら久々の懇談に興じるつもりである。気の置けない友人は本当に有り難い。