20年位前のこと、ちょっと歴史に詳しそうな人がいると必ず聞いていたことがある。「なぜエカテリーナは全く血縁がなくて皇帝になれたのか、分かりますか?」。誰も答えてはくれなかった。そんな疑問、誰も持っていなかったようなので、いつしか聞くのを忘れてしまっていた。それが数年前、ひょんなことから氷解したのである!
答えは──エカテリーナだけではない、ロシアでは皇帝は世襲とは限らないのである。エカテリーナ女帝があまりに偉大だったので、囚われていたのが誤りだった。あまりに暴力・拷問が過ぎてイヴァン雷帝と呼ばれているイヴァン4世(15?16世紀)はリューリフ朝だったが、跡継ぎの次男は自分で殺してしまうし、三男は頭が足りなくて、あとが続かず、まさに混沌としていた。17世紀にロマノフ朝が興ったが(?1917年、ロシア最後の王朝である)、ロマノフ家というのは名門の一族で、雷帝の最初の妻の出所である。その3代目が大北方戦争に勝利して(それまではスウェーデンが最強国であった)、ロシアの西洋化・近代化を初めて成し遂げたとされるピョートル1世(大帝)である。言わずと知れた、プーチンが最も尊敬する男である。
ピョートルは2メートルある大男であった。親が決めた最初の妻が気に入らず、修道院に幽閉し(男子が1人育ったが、後に殺害)、自分は適当に女を見つけた挙げ句、なんと農民出身の女中であった女を大変気に入って秘密結婚する。この女は12人も出産したが、うち無事に育って大人になったのは女2人だけ。ピョートルが50代で亡くなったとき、後継は決まっておらず遺言もなく、結局なんと、この未亡人(名前をロシア式にエカテリーナと名乗っていた)が帝位を継いだのである! ありえない! 血縁がないどころか、農民出身で教養もない女が、この身分制の時代に、である。
他のヨーロッパ諸国ではありえないことである(もちろん日本やタイなどでもありえない)。イギリスの王朝もフランスの王朝もその他、どこもあれこれ変わったが、すべて根っこは同じ所に起因する。直系が途絶えると(直系が永遠に続いた試しはない!)弟か、それが無理なら従弟かとにかく近い所に戻って、そこからまたスタートするので別の王朝名になるにしろ、である。フランスは女性を王位につけないが、摂政はOKである。しかし、エカテリーナ1世は血縁もゼロだし、息子もいないので摂政にもなれない。
彼女は40代で亡くなる。その後は、大帝が殺害した一人息子の遺児(つまり孫)がピョートル2世として即位するが、まもなく死亡。そのあとは、大帝の腹違いの兄の系列に皇位が移り、姪が女性摂政として辣腕を振るうが、大帝の次女エリザベータが軍を率いてクーデターを起こし、皇位を奪取する。この女性、当時のオーストリアのマリア・テレジア女帝とフランスのポンパドール夫人(ルイ15世の公娼)と組んで、プロシアのフリードリッヒ大王に対抗したペチコート同盟で知られる。40代で亡くなったとき、彼女の後継は決まっていた。ドイツ貴族に嫁いだ姉アンナの遺児ピョートルである。つまり彼が3世。
ピョートル3世は低脳気味で、おもちゃで兵隊ごっこをするのが何より好きだったらしい。フリードリヒ大王に心酔し、軍隊もプロシア式に変えて、皆から離反されていたという。エリザベータは、ピョートルに賢い女をと、ドイツの片田舎の貴族を選ぶ。それがロシア名エカテリーナである。ピョートルは不能だったらしく、浮気が公認され、エカテリーナは跡継を産むが、姑に取り上げられてしまう。そしてピョートル3世即位。その後、軍隊を引き連れてクーデターを起こして、夫を幽閉(後に病死を装って殺害)、エカテリーナ2世として即位する。ロシアの血どころか、彼女は生粋のドイツ人である。以降の公私ともに華々しい人生はすでに知られたところである。
なぜ、血縁である必要がないのか? 結局のところ、あの恐ろしく広い国土の各地には数え切れないほどの豪族なり貴族がいて、それぞれに土地を支配・管理しているのだから、その力のバランスの上に成り立つトップは、血統という以上に、そもそもの力がないと無理なのではないか。そしてプーチンは、歴史家でもあるらしい。地縁も血縁も全くない自分でも、まとめる力があり、皆に支持されている以上、皇帝になれると考えているのではないか。スパイから国のトップに立って、すでに20年。その「妄想」は限りなく強固なものになっているであろう。ウクライナもジョージアもその他大勢、彼らは自分にひれ伏すべき存在であると信じてしまっているのではないか。
昨日昼は、この近くを、最後の桜を見ながら散歩した。暖かくて大変気持ちが良かった。それがどんなに幸せなことか、毎年感じることではあるが、今年はよけいに、骨身に染みて実感している。一人の殺人事件だけで、大変なことだと思っているのに、まさに大量の殺人事件が、当たり前のように起こること。それが戦争なのである。戦争犯罪、という言葉すらとても軽く感じられてしまう。