今回文春に出たのは、12年も前の女性関係である。11年の長きにわたった不倫関係とはいえ、神奈川県知事選に出る前の、つまりは過去のことである。それが文春砲となったのは、ラインなりメールに露骨に表れた、その卑猥さが強烈過ぎるからだろう。実際、読んでいて、気分が悪くなるほどだ(潔癖症の知人男性は「吐き気がする」と書いてきた)。書いたのはもちろん、本人。その人格が発露したものであり、こういう人が公人であり、県民の代表者になってはいけないというのが、正直な感想である。
とはいえ、他にいい候補がいないのでねえと、知人の神奈川県民が言っていた。という次第で、結果は残念ながら、圧勝だった。記事は文春を買わなくてもネットである程度は読めるし、このネット社会において、まるで知らないでいることは難しいと思うのだが、「不倫をしていたんだって? そんなことはよくあることだし。男なら皆思い当たることがある。それに、相手の女性だって同罪じゃない?」程度の認識の人が実は多いようなのだ。私も別に、不倫そのものを咎め立てているわけではない(もちろん褒められたことではないが)。それだけならば実際巷にはよくあることで、公人になる前の昔のことではあるし、文春だってわざわざ取り上げはしなかったはずだ。
選挙に出るから別れたい…それは貴方の勝手である。それで皆が別れられるのであれば、別れ話のもつれによる事件など起こりはしない。一方的に自分の事情から別れるのであれば、きちんと相手を納得させるだけの誠意を示さなければならない。ひたすら謝罪して、まとまった手切れ金を支払うなどは当然のことだ。その後もいろいろと言い立てられる男は、間違いなく、謝罪も慰謝も不十分で、相手の恨みを買っている(某首相は芸者への手切れ金をけちったためにチクられ、すぐに首相を辞めることになった)。それは結局のところ金銭の恨み辛みに特化する。綺麗に別れられないのは、人間として、ケチで自分勝手で、全くもって尊敬になど値しない。
黒岩さんがテレビに映ったとたん、生理的に受け付けられなくて、即刻チャンネルを回した。今後も決して見ないようにするだろう。そういう人とこれからも働いていかねばならない神奈川県庁の人たちなど、気の毒である。神奈川県民は耐えられるのだろうか。その卑猥な人格は以前からのもので、先の12年間は、知らなかったが故に皆問題にしなかっただけである。いったん露わになってしまえば、もはやなかったことにはできない。ご本人は、今頃になってマスコミに垂れ込んだと思われる相手の女性を非難しているのであろうが、それはそもそも自分が撒いた種である。そもそもは県知事になどなるべきでない人だったのだから、出すのであれば12年前に出して欲しかった。
このスキャンダルで思い出したのは、巨人坂本選手のライン事件である。女性と生で性交渉をして、子供が出来たからと当然のように中絶させて…という一件が強烈だったのは、ラインに残された卑猥な(特殊な性癖の?)自分勝手な、女性をものとして扱う、知性のない言葉の羅列だった。相手の女性が「こんなことを言われました」「されました」と言ったところでそれは伝聞でしかないが、本人が書いたものは否定のしようがない。相手はもちろん無関係の人にも強烈なインパクトを持つ。目に焼き付いたまま、言葉が、人格そのものとして残ってしまう。
スキャンダルは、マスコミがそれを「事実」として取り上げるのだから、証拠が必要である。いつも思うのだが、なぜ当人らは「証拠」を残すのだろう。黒岩さんも知事になる前、マスコミ業界で知られた人だったわけだから、半ば公人であり、おまけに自分は妻帯者である。相手とはいつかは別れないといけないはずで、そのときに一悶着ないとなぜ言い切れるのだろう。想像力を少しでも働かせれば、後々証拠になるようなことは一切残すべきではないのである。
相手から届いたものは削除すればよく、自分からは出さないのが鉄則だ。坂本選手も名前の知られた、いわば公人である。相手の女性を存分に傷つけておいて、ある程度始末金を払ったからといって(どうやらお金ですべてが片付くと思っている節がある)、あと何もないとなぜ思えるのだろうか。適当に付き合ったと思われる相手の女性が有名人との関係を黙っているはずもなく、知人から漏れることも十分にありうるのだ。どれだけ信頼できる相手かも分からないのに、よくまあ平気でラインを出しまくることである。黒岩さんも坂本さんも、そして最近は私の身近にそういう人がいて、危機管理がまるでなっていないと呆れ切っている。
私は神奈川県民でもないし巨人ファンでもないから、2つの案件に関していえば、とくだん被害はないのだが、ラインの言葉が目に焼きついて、不快だし、これは今後ずっと消えないと思われる。そのレベルの被害を被っている人は数多くいると思われる。ネット社会だから、と言えばそれまでだが、皆、誰であれ、気をつけて行動すべきだとつくづく思っている。