ここ数年、まめに図書館で本を借りている。話題の本はだいぶ待たないといけないが、半年もすれば大丈夫。私は子供がいないしスポーツジムも利用しないので、多額に?納めさせられている住民税の還元はこれだけかも…(笑)。
副題に「哲代おばあちゃんの心も体もさびない生き方」とある。かなり前から新聞などで話題になっていたが、尾道にある私の実家からさほど遠くない所にお住まいである。表紙に写真が載っているが、艶々としたほっぺたで、とても福々しく、可愛いおばあちゃんだ。年を取ると、人間、可愛げが大事である。可愛いおじいちゃん・おばあちゃんには人が寄ってくるが、むすっとした人、エラそうな人には誰も近づかない。
哲代さんは1920(大正9)年、広島県府中市上下町生まれ。20歳で小学校教員になり、26歳で同じく教員の夫と結婚、舅姑と同居。56歳で退職後は畑仕事に勤しむ。子供はおらず、2003年に夫が亡くなってからは一人暮らし。今103歳になる。これがとにかく元気なのだ! 布団は毎日上げる。お米は2合炊いて2日で食べる。つまり日に1合! すごい食欲だ。味噌汁はいりこで手作りするし、料理に手を抜かない。夜寝たら朝までぐっすり、毎日規則正しい生活を送る。畑仕事のほか、デイケアその他で周りの人々と積極的に携わる。本も読み、メモも取る。寝たきりはもちろん、認知症とも無縁である。
家は道路から坂を上がった所にあり、自分の足で上り下りをする(坂を下がる時は後ろ向き)。姿勢が良く、杖不要(すごい!)。離れた所に行くときは、ラッタッタを使用。初めての入院が100歳を超えてからで、服薬もそのときまでなしというのには、恐れ入る。体がとにかく柔軟だ。前屈姿勢で手のひらがほぼ地面につくのはすごすぎる。私なんて生まれてこの方、そこまでついたことはないし、どんどん堅くなる一方で、放っていたら大変なことになるなあと密かに心配をしている。体が硬いと怪我をしやすいし、大怪我の元にもなるからだ。哲代さんは当然歯も丈夫なのだと思っていたら、歯は60代から入れ歯なのだそうだ(総入れ歯なのかどうかは不明だが、不具合はないという)。
だいぶ前に100歳で元気な双子、金さん銀さんがお茶の間を賑わせたが、哲代さんも100歳で、健康的な一人暮らしを続けている。とにかく明るい。いつも周りに感謝の念を抱き、感謝の言葉を欠かさない。だから、自分の姪も、亡夫の姪はじめ周囲の人が何やかやと気を遣ってくれる。というよりむしろ、周りの人たちが哲代さんに元気を貰っているのかもしれない。これは努力して持ち得たというよりむしろ、彼女自身の持って生まれたバイタリティなのだろうと思う。だからきっと、真似をしたいと思っても、こうありたいと思っても、そうはできないのだろうと思うが、人生100年時代に、生きた見本があるというのは有り難いことである。
私の母はほぼ10歳下の92歳。朝早く起きて家事をし、畑に行って草抜きなどをし、8時を目処に家に戻る。畑がとにかく好きで、それこそ何時間でも居続けたりする。戻るとお八つ、正午前にはお昼。夕方また畑に行ったり家事をしたり、読書をしジグゾーパズルを解き、とにかくぼうっと休むことがない。勤勉なのは母も哲代さんと同じで、これは一つには時代背景もあるのかもしれない。だんだん年を取ると家事、ことに料理が面倒になり、施設に入る動機にもなったりするというが、有り難いことに母の料理好きはちっとも変わらない。新しいものにもよく挑戦をする。食欲も私などよりあるくらいで、施設に入って出されたものしか食べられない生活には耐えられないと言っている(よく分かる!)。そもそも狭い所にはおれないのだ(私も同じ)。これだけ畑が好きなのだから、母も哲代さんを見習って、あと10年、元気で家にいてほしいと願っている。
老後にお金がなければ困るが、もはや贅沢もしないのだから、普通の生活に必要なもの以上は要らない(すごい施設に入ることや高額医療のために残す場合は別として)。老後に必要なのは人間関係であり、人間関係こそが財産である。財産がありすぎた結果なのか、子供の相続争いになり、家族がばらばらになって孤独な老後になるのは本末転倒である。将来のある若い時には孤独も楽しいが、人の助けが必要になる老後に全くの一人というのは困ることだし寂しいことだと思われる。家族がいれば家族を大切に、家族がいなければそれ以外の交遊を、自ら働きかけて、感謝をして、続けていくことこそが大事なことだと思われる。