法曹養成の失敗について思うこと

6月28日(金)、ああこれで今年も半分経過である。レインコートが必携の朝から大雨の今日だが、行事会合に忙殺された先週が終わり、今週は一息ついている。

先週いくつかあった懇親会の中に、現職検事が出席したものがあった。検事総長や検事長で辞めた方も何人かいて、いろいろ話を聞けた。司法試験合格者は(長い間年500人弱だったが)近年約1500人で推移している。検事任官者も以前より多いのは当然だが(私が任官した40年前は53人。その数年前、30人を下回る危機的状況だった)、今や毎年何十人単位で辞めていくという。異動の希望に「東京。それ以外なら辞める」と書いてくるって、本当!? もちろん全員を東京で働かせることはできないので、希望が通らないことが多いが、その場合は本当に辞めて弁護士になるという。弁護士って、今は増えすぎて、そんなに儲からないじゃないですか、ごく一部を除いて。「まあ、本人は自分はやれると思っているんだろうなあ」。たしかに、大手弁護士事務所の伝があれば、少なくとも検事の給料よりは多いだろうが、その人はなんのために検事になったのだろう。そもそもなんのために司法試験を選んだのだろう。社会正義の全うとまでは言わないにしても、法曹=お金儲けではありえないし、そもそもお金を儲けたいのであればビジネスをやればいいと思うのだ。

振り返って、私は異動の希望に「寒い所は嫌」と書いた(他に書きようがあるだろうに、正直なものだ…)。その結果?新任明け(昭和59年)は松山に、3年後横浜に、2年後(A庁明けという)津に赴任した(平成元年)。その2年後名古屋(法務局)、その2年後東京に異動して5年経過後国会議員に転身した。以後は職住共にずっと東京なので、検事時代の異動でのみ地方勤務を味わうことができた。おかげで松山を起点に四国全体を回れたし、全国の美味しいものも味わえたし、松山も津も当時の交遊が今も続いていて、本当に有り難いと思っている。ただ正直な話、異動は若いからこそ出来たのだろうと思う。だんだん年を取ってくると、引っ越しはしんどいし、親の介護や子供の教育のことなどでやむなく定住を選んで異動を断り、弁護士に転身する人も出てくる。だがしかし、最初から東京しかダメなどという人はいなかった。世の中、というか法曹の質が変わったのだろう。

私が国会議員だったとき(1998年~2004年)に、司法制度改革が始まった。中坊公平さんの「2割司法」が跋扈し、弁護士が足りないから司法が2割しか機能していないという大嘘が声高に叫ばれた。助けを求めようにも弁護士がいないので、結局政治家やらその他のルートを頼らざるをえないというのである。実業界からも弁護士増員の掛け声があり、こちらは、弁護士が増えれば会社でサラリーマンとして雇うことができるというのである(これを「インハウスローヤー」という)。司法試験合格者数は2000年当時1000人前後だったのを(それでも私が合格した当時の倍である)、2010年頃には3000人にしようと言っていた(数字の根拠は、ない)。徐々に増やして2012年に2100人になったのをピークに、弁護士会が増えすぎだ、1500人に減員をと言い出し、以後大体それくらいの数で推移している。

人数を増やすのだから、教育をきちんとしなければならない、という論理で、ロースクールが始まったのである。本家本元アメリカでは大学に法学部はなく、心理学や社会学などを学んだ者のうち成績の良い者などが選ばれてロースクールに進み、法律家になるシステムである(医者の養成と同じである)。故に、日本でも法学部を廃止するのかとの議論がなされたが、サラリーマンを養成するためにも法学部は必須であり廃止するわけにはいかないとの結論が当然のように支配的であった。その結果の「日本版ロースクール」の誕生であった。どの大学もロースクールを作らなければ学生が他に逃げていくと恐れて手を挙げ(ヒアリングをしたが、小さな地方大学もすべて法律家養成にローカル色が必要だ云々、述べていた)、2004年、68校が設立された。当初は、上記のとおり3000人が合格するので、ロースクール卒業者の7割は合格するとの試算だったのである!

ところがどっこい。弁護士が増えすぎて、上記のとおり、司法試験合格者は1500人の頭打ちになった。つまるところ、ロースクール卒業者の3~4割しか合格せず、中には一人も合格しない所も相次いで、2023年時点で半数の34校に減った(もっと減るのではないか)。高いお金をかけてロースクールに2年通い、借金を抱えて弁護士になると、あと下手なことに手を出すことにもなりかねない。日本はもともとアメリカのような訴訟社会ではなく、現に刑事事件も民事事件も長らく減少傾向にある(増えているのは家事事件のみ)。弁護士が足りないどころか、もはや余っているのである。かつての弁護士2万人時代から今や5万人時代である。過払い金返還請求事件はとうの昔に終わっているし、一般の弁護士は一体どうやって食べていくのだろうと思わされる。

実際のところ、高いお金と厖大な時間を掛けて法曹資格を得たところで、それほどバラ色の人生が待っているわけではないのである。需要と供給のバランスからして、弁護士を雇おうという事務所も増えないし、その給料たるや我々が司法修習生だったときの年4~500万円程度から全く増えていないらしいのである(もちろん大手の弁護士事務所であれば年1000万円を保障するだろうが)。給料を出さずに机だけを貸すという形態があり(軒弁ノキベンという)、それもなければ自分で最初から独立して弁護士をやり(独弁という)、携帯しか持ち合わせず(携弁という)、あるいは弁護士会会費も払えないので弁護士登録しない者まで普通にいる時代なのである。そもそもが高度に専門的な知識を必要とする職業なのであるから、真っ当な事務所に勤めてオンザジョブトレイニングを受けられないのでは上達しないし、一般の市民が被害を被ることにもなるのである。大企業に勤めたほうがよくない…?進路の相談を受ければ私は実情を教えている。それでも、これこれをしたいから弁護士になりたい、あるいは検事になりたい、裁判官になりたい、確固たる意思を持ち合わしているのであれば別であるが、そうでない場合には決して勧めない。

国家的詐欺ともいえる法曹増員計画にのっかって、会社を辞めてロースクールに入った人も結構いるだろう。7割が合格するのであればと思っただろうが、実際は7割が不合格なのである。医学部を卒業しながら医師国家試験に合格しない人の将来が暗いように、ロースクールを卒業して司法試験に合格しない人の将来もまた暗かろう。実は司法試験に合格するノウハウは、ロースクールよりもむしろその専門の予備校のほうがずっとか進んでいて、予備校に通いながらロースクールに行くのは時間と金の無駄でしかないという側面も否めないらしい。そもそも学部での法律履修(3~4年間)+ロースクール2年(法学部履修者以外の場合はロースクール3年)は、実務家以前の法律を学ぶのに長すぎてダレるというのが私の感覚である。法曹になるのであれば、文学や歴史、哲学といった一般教養こそが必要なのに、それが得られないまま法律だけを勉強するというのは薄っぺらな法律家を作り上げるだけで、大変に危険なことというべきである。検事しかり裁判官しかり。やはり一般教養を基礎にした立派な法曹を誕生させなければ、それこそ数だけ増やして、国民にとっては害にしかならないのではないだろうか。

ロースクールはおろか大学卒業さえ必要でなかった旧司法試験制度が懐かしい。

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