総裁選その後…選択的夫婦別姓も絡めて

 次々と推薦人を揃えて、候補者が出てくる。明日告示、27日総裁選(自民党本部)である。うち1人からパンフが送付されてきたが、もし党員110万人?全員に送るとすると、郵送料だけで1億円になる。もちろんそれだけでは済まないので、通常の選挙同様、お金がかかるのは否めない。

 先週のこと、某テレビ局から電話があった。テレビには出ないことにしていますので、とまずもって言おうかと思ったが、一応話は聞いたら、私がかつて推進していた選択的夫婦別姓について、総裁選に絡めてテレビ取材をしたいとのことであった。しかし、私は本当にテレビには出たくない、顔は売りたくない、できる限り匿名でいたい──との主義でこの20年間弁護士をやってきた。最初からテレビで顔を売るつもりであれば、ワイドショーのコメンテーターなどの話もいくつかあったのだ。不特定多数に知られるようになったらどんなにか生きにくいだろうと私などは思ってしまう。もし自分の顔が電柱に貼られていたりしたら…想像するだけで怖いので、選挙に出るなど無理である。

 取材に応じる場合、活字媒体であれば内容チェックを条件にすればよいが、映像は作り手の意図でどうなるか分からない。夫婦別姓は当事者にとっては大事なことだが、総裁選(次の総理を選ぶことになる)にとっての最重要なテーマとは思えないし、別姓推進の候補者を支持しているように受け取られても困る。自民党党紀委員としてもまずいだろう(もっともそれは付け足しの理由であり、そもそもテレビに出るつもりがない)。とはいえ、別姓に反対する候補者には党員としての一票を投じるつもりはない。

 選択的、なのである。同姓にしたいカップルはどうぞ、である。それになぜ反対するのか全くもって理由が分からない。普通の日本人が姓を持てるようになったのは明治以降であり、姓(氏)を持っていたのは武家だけである(でない者が苗字帯刀を許されるのは特別な栄誉であった)。その武家は夫婦別姓である(北条政子は源政子にはならない。日野富子も足利富子にはならない)。だから、夫婦同姓が日本の伝統文化である、というのは完全な誤りなのだ。明治政府は家制度を取り入れ、妻を家に従属するものとしたが、日本国憲法の下、男女は平等となり、婚姻は当事者同士のものとなった。婚姻の際の姓については憲法に定めはないので、あとは民法及び戸籍法の改正をすれば済む。とても簡単なことである。

 もはや3組に1組が離婚する時代である。どちらの姓でも選べるので男女平等だというのは建前で、たいていは妻が夫の姓を名乗るため、離婚の際は自分及び子供の姓をどうするか、悩むところである。自分は旧姓に戻す場合(そうしておかないと再婚してまた姓を変え、次に離婚したら、前夫の姓に戻るだけで娘時代の旧姓には戻れない)、親権を持つ子供と姓が違ってきてしまう。子供の姓を変えるのに、学期途中に変わるのも…というので、新学期が来るまで、新学年になるまで、出来たら学校が変わるまで…と相当に気を使っているのが現実である。学童期に入る前の子供であればその心配がないので、ああ、良かったということになる。もともと親の姓と子供の姓が同じとは限らないということであれば、この悩みはなくなる。

 子供のための家族一体感、同姓をというのが反対派の理由なのであれば、子供を産まないカップルについてはそれは全く意味がないことになる。40代以降に結婚してそもそも子供を持たないという人たちにとって同姓強制の積極的意味はあるか。ないだろう。今は熟年離婚も増え、それから再婚をする人も多い。それまでに長年親しんで、その名前で生きてきて、人格そのものになっている姓を変えなければいけないのであれば、法律婚を選べない人も多いと思われる。事実婚で通してもよいが、それでは相続の際、あるいは入院などの手続きの際、大変に困るのである。姓をどうするかなどはおよそ形式的な問題に過ぎず、まさかこれに反対をしておいて、同性婚は認めるなどというのであればバランスを欠くにも程があると思う。欧米では認めている国が多い、というのは結構だが、彼らの国では婚姻の際の同姓など全く求めていない。夫婦同姓を強いているのは日本だけだという現実にきちんと目を向ける必要があると思うのである(韓国・中国はもともと夫婦別姓の国である)。

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