今日15日公示、27日(日)総選挙である。衆院は12日しかないのだ(参院の場合は告示といい、17日ある)。この1日に臨時国会が始まり、9日には解散(史上最短)。自身も最初言っていたし野党の要望でもあった予算委員会を実施しなかったのは、やればやるほど埃が出るからだろうか…? とはいえ何もしなければご祝儀相場で支持率が上がるというわけでもなく、自公併せて過半数維持(=233議席)の目標が達成できるかどうか、なかなか厳しいようである。そもそもこの目標は本来低めの設定のはずである。解散時、自民256、公明32と併せて288議席、つまり55議席を失う計算なのだから。
なぜこれだけ厳しくなったのか。根本的な理由は、総理がブレているからだと思われる。当初思いつきのように、裏金議員は全員非公認にすると言い、すぐに訂正した。この件についてはすでに4月、党紀委員会で一定数について処分済みである(計39人。500万円以上不記載をボーダーラインとして一番軽いのを「戒告」とした)。故にもうそれはなしということになったのに、世論調査の結果が良くないからと覆し、戒告にもならず幹事長の厳重注意で済んだ議員についてまで、比例重複立候補を認めない措置を執行部は決めた。この措置は、選挙区での当選が厳しい議員については生命線に関わるが、当選すれば禊ぎは済んだとするのであれば、一応は成り立つ理屈である。非公認は6人(離党勧告を受けて離党済みの議員はもちろん除く)。
問題はこの先である。9日、党執行部から一次公認リストが関係各所にFAXされたという。この中に、比例重複立候補禁止のうえにさらに非公認とされた議員が6人いたわけだが、当の本人には何の説明もなかったのである!! 自らに関する重大決定を、FAXを見た人から連絡を受けて知るなど、失礼にも程があろう。候補者を推薦し、党本部に公認申請をした県連にも何の連絡もなかったという。まさかあ、仁義を欠きすぎている…! 党の公認を受けるか受けないかは、公認料の有無や供託金の準備、政見放送の可否、ポスターの貼付場所その他、とにかく天と地ほどの差異があるのである。ポスターだってもう作成済みで、損害たるや半端ない。もし非公認にするのであれば、もっとずっと前にしなければならない。党が発表した「調査したら当選の見込みが全くなかったから」で済む話ではないのである。比例単独立候補者の場合はどうなるのだろうと思っていたら、出馬辞退という形を取らされたという。無念の涙、いや怨念があちこちに大量に散らばっているはずだ。こうした仁義を欠いた結末が、良かった試しは歴史上、ないと思われる。
法律家故かもしれないが、私が大いに引っかかっているのは、自民党紀律規約第9条2項の規定である。党紀委員会の処分は、重い順に①除名、②離党勧告、③党員資格停止、④選挙における非公認、⑤国会及び政府の役職の辞任勧告、⑥党の役職停止、⑦戒告、⑧党則の遵守の勧告 となっている。この度非公認とされた議員が③以上の処分を受けている者であればよいが、⑤以下であれば(今回追加された6人は全員そうである。どころか党紀委員会の処分の対象でさえなかった議員もいる)、二重処罰の禁止(一事不再理)に触れる。岸田総裁の下でも石破総裁でも同じ組織である。これが妥当するのは刑罰の場合でしょうと言う人もいるが、懲戒処分でも理屈は同じであり、同じ事実で再度処分することは法的安定性を著しく害する。民事事件でも既判力が及んで同じ訴えは起こせない。そんなことは法治国家としては論ずるまでもなく当然と思われる。まるで北朝鮮のような独裁国家だよな、結局は安倍派パージだよ、党内分裂は必至、誰も石破さんを支えようなんて思わない…という不穏な空気が流れていては、この短期決戦を無事に戦えようはずもない。自公過半数が達成できなければ、野党のどこかと連立を組まざるをえないことになるが、もしかしてそのシナリオはすでに織り込み済みなのだろうか。
さて「袴田事件」。1966(昭和41)年に静岡県清水市(当時)で発生した事件だが、マスコミで問題にされ始めた当初から私は彼は冤罪だろうと思っていた。動機がないのである。元プロボクサーである袴田巌さん(当時30歳)が、雇い主である味噌製造会社の専務一家4人を強盗殺人目的で惨殺したうえ、証拠隠滅のために放火したとされる重大凶悪事件なのに、奪われた金員についてもはっきりしない。残忍な殺害状況を見るに、動機は金ではなく深い怨恨だというのは捜査のイロハである。拷問及び見込み捜査で悪名高かった静岡県警はこの他にも再審無罪事件をいくつも起こしているが、パジャマを着て、こんな大それた罪を犯す者はいない。犯行に使ったとされるくり小刀ではこの深い傷は出来ない。令状を取り捜索場所とされた味噌工場から出てこなかった衣類5点(血染めというほどではないが血がついている)が、逮捕後1年2ヶ月も経った公判中に味噌タンクから発見された。すると検察は冒頭陳述をその旨変更したのである(信じられない)。そんな怪しさ満載の証拠関係なのに、静岡地裁は袴田さんの自白調書について1点を除いて排斥したうえ有罪認定をし、死刑を言い渡した。無罪を確信していた左陪席は裁判長と右陪席の説得が叶わず、良心に反した判決を書き、悩んだ末7ヶ月後に裁判官を辞職し、以後ずっと良心の呵責に苛まされた…。
10年前に静岡地裁で再審開始決定が出され(衣類5点については捜査側の捏造の可能性が高いとされた)、死刑執行の停止ばかりか勾留の執行停止までなされて、袴田さんは48年ぶりに釈放された。以後なかなか進まず、今年9月末に静岡地裁が再審無罪判決を出すまでにまた10年の歳月が流れた。この判決では「可能性」には留まらず「捜査側(警察及び検察)の捏造」とまで言い切ったのには少なからず驚いた。その証拠もないのである。被告人に被せた罪が危うくなってきて焦った真犯人の捏造かもしれないのである。検察としては、そこは意地でも控訴したいところではないかと憂えていたが、結局人道的見地から控訴は断念した旨、8日、発表された。
袴田さん、現在88歳。福々しくて見ていて有り難いが、半世紀以上に及ぶあまりに長すぎる戦いであった。弟を終始支えたのはすぐ上の姉、ひで子さん91歳。背筋がぴんと伸び、声もしゃんとしていて、長生きの見本のような人である。大事件の再審無罪判決が出る度に思うのは、真犯人はどうしたのか、ということである。杜撰な決め打ち捜査のために、肝心の真犯人は逃げおおせたわけだ。何しろ58年前の事件であり、死んでいる可能性も高いし、証拠とてもはやありはしない。どんな事件でも警察はある意味検察に送致をすればおしまいなのであり、検察としても???と思ったところでこの人は真犯人ではないでしょ、捜査をやり直してちゃんと捕まえてきてよとの指示も出せはしない。あとは裁判所が無罪とするだけである。だからといって警察は最捜査をして改めて真犯人を捕まえてくるわけではない。真犯人は逃げたままなのだ。もちろん遺族は浮かばれない。刑事司法制度はそもそも正しく的確な捜査なくしては成り立たない。