新年になりました。大相撲初場所です。

早や16日。いつの間に…。先週の今日は大学に行って、後期の授業内試験を実施した。でもって今日は行かなくて済む。というか、実はこの3月に定年退職するので、それが文字通り最後の授業であった(この後教官会議などで何回か行くが)。定年退職は実はしたことがなく、これが最初で最後の経験になる。もし家裁調停委員を2年6期(=12年)で辞めていなければ、これまた3月で定年退職だったはずだが。

で鋭意、採点をし、成績登録を済ませ、追試が終わった後にアップする予定の「模範解答例・採点コメント」も作った。それやこれやで結構することがあり、明日(金)は事務所で午前、某雑誌の取材(選択的夫婦別姓が主になるらしい)。午後は自民党本部に行って(各種女性団体連合会理事会。だいぶ前からここの会長をしている)。事務所に戻って4時~兵庫県から上京される知人の相談をし、会うのは数年ぶりになるので、たぶん一緒に夕食を食べに行くことになるだろう。彼女のお父様は大変ダンディで素敵な方で、国会議員時代から懇意にしていたが、亡くなって10年以上が経つ。そのご縁が未だに続いている。3人の娘さんのうち2人を存じ上げているが、どちらも背が高く(明日来られる長女は私より高いくらいだ)、びっくりするほどの美人である。

新年になっての感慨がないのは今年に始まったことではない。食糧の買い置きをすることもなく、街の風景も変わらない。新年に見る番組もないし、淡々と一年が終わり、日付が変わるだけである。今年こそは何をするぞ、という新たな決意もなくなって、久しい。とにかく日々健康で、平穏に過ごせればよいと思っている。賀状じまいは事実上3年前からやっているが、その以前から、新年になる前に挨拶を書くことに心理的な抵抗があり、両面共に印刷して一言添え書きのみというのにも抵抗があった。結局賀状じまいの断りもせず、新年になって、来た賀状に返事を書くだけにしたら、どんどん貰う枚数も減ってきた。宛名まで直筆だと結構大変で(最近書かなくなっているので筆圧が弱くなり、万年筆がうまく使えなくなっている)、両面ともに印刷だけの人には返事を書かないことにしたら、とても少なくなった。賀状じまいを宣言してきた方もすでに多いが、今年の賀状にそう書いていた方も構あるので、郵便料金が上がった影響は多大と思われる。そうはいいながら、印刷でも近況を詳しく知らせて下さる友人知人の賀状は嬉しい。メールが分かっている人にはメールで返事を書いたり電話をしたりして、話が弾む。知り合って長年付き合いが続いているのだから、これもご縁である。

さて、大相撲初場所、初日に観戦に行ってこられた(いつもチケットを下さるA様、ありがとうございます!)。そのあとはテレビで観戦しているが、琴櫻がすでに3連敗して綱取りは消滅した。豊昇龍が4連勝、圧倒的な強さを見せている。土俵際逆転の投げでよく怪我もしていたが、先場所から前に前にの正攻法となり、相撲内容が変わった。もともと運動神経の俊敏さ、体幹がしっかりして、組んでも離れても相撲を取れることが強みなので、これがどこまで伸びていくかである。聞くところによると、四股すり足鉄砲の基礎練習を積んでいるらしい。あと大鵬の孫(貴闘力の息子)王鵬が力を付けている。三役にはおそらくなるであろう。期待の大の里がすでに2敗。出足のスピードが無くなった。脚が前に出ていない、どころか足が揃っていることもある(であればどんな巨漢でも倒される。相撲は相手のバランスをいかに崩すかの競技なのである)。私の相撲歴もいつの間にか21 年。場所に行ければベストだが、でなくてもテレビ観戦できれば、至福である。

思い起こせば、国会議員5年目に文科省政務官の話が来たが、自民党女性局長を続けたくて1年延ばしにさせてもらった。そして翌年の話は厚労省政務官だった。副大臣に川重勤務経験のある国会議員がおり、私の父も川重勤務だったご縁で、川重社長との懇親会に同席を誘われた。その社長と同郷の宮崎出身で、東京でビジネスに大成功したTさんと引き合わされたのだが、その方が大相撲の大タニマチで、最初お付き合いしたのが正面砂被り席1列目だった。当初は退屈だったのだが、4時半の待ち合わせを、私は4時から見たい、3時半から、3時から、とどんどん前倒しになった。今は2時半には行くし、もっと早い時すらある。当初はオペラか大相撲かと言われれば当然オペラだったが、今や躊躇なく大相撲である。いわゆるスー女なのだが、顧みて、私と大相撲との縁は厚労省政務官になったことからあるのだと、再認識した。ご縁というのは不思議だし、本当に有り難いことなのである。とにかく場所中は私はとても幸せである。

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