一昨年8月以降、お弁当を作るのが日課になっている。すでに1年半。お米は有り難いことに毎年美味しいこしひかりを大量に頂いているので、朝に2合炊いて(ビタクラフトを入手してからというもの、1合炊きでも本当に美味しい)、4~5回分に小分けして事務所に持参し、その日食べる分以外は冷凍しておき、電子レンジで解凍すればまさに炊き立てご飯なのだ。おかずはわざわざ作ることもなく、主に余り物処理でよい。たまにその日急に会食が入ったりすることがあるが、持参したおかずは持ち帰って夕食にする。とにかく、物を捨てるのが嫌なのは、母親譲り以外の何ものでもない。
昨年12月以降は家でおでんの常備を始めた。好物の大根、こんにゃく、牛すじは欠かさない。昆布で出しを取るし、我ながら名店にも負けない味だと思う。常備しておくと、夕食のサイドメニューになるし、お弁当のおかずにもなる。もちろん他の物も持参するし、スープなどの類いは事務所にも常備しているので、とてもリッチな昼食である。テレビを見ながら、あるいはラジオを聞きながら、広々した事務所で(イギリス大使館の裏にある!)お昼を食べるのはなんとも贅沢なことである。副次的効果として、お金がかからない。買い物はほぼカードなので、現金は、スイカのチャージと、医療費、それと郵便局とコンビニくらいのように思う。タクシーはとんと乗らない。美容院は現金だが、カラーを止めてすでちょうど4年。カラーをしないのでトリートメントも不要だし、1ヶ月半に1度のカットは6900円しかかからない。家で洗える物ばかり着ているのでクリーニングも行かないし、銀行で下ろすこともほとんどない。我ながら、なんとまあ堅実な暮らしぶりである。
洋服を買わなくなったのは、コロナの影響も多々あるだろう。今でも時たま買いはするが、すべて通販で、お店に見に行くことがない。60歳で着物に変えようと、思い立って着付けを始めたのは11年前、58歳の12月だった。ネット動画を見ながらなので苦労したが、着付け教室に行く気はもともと、さらさらなかった。習うより馴れろで、だんだん着実に上手くなり、今や着物50枚、帯50本、帯揚げ・帯締め(=和装小物)各40個くらいにもなる衣装持ちである。大きな桐の箪笥でもとうてい間に合わず、簡易な収納ボックスがいくつもあるのだが、整理好きなので、どこに何があるのか分からないとか、ついつい同じような物を買ってしまったといった失敗は、幸い、ない。この着物にこんな帯が欲しいとか(最近は名古屋帯愛用で、袋帯を名古屋帯と同じ長さの京袋帯に改造するのがマイブームだった)、この組み合わせには何色のこんな小物が欲しいと具体的に思わない限り、買うことはない。そもそもお店に行かないのでは、そんな思いつきも出てこない。この10年、着物に嵌まってずいぶんとお金を使ったが、いくらなんでもそろそろ飽和状態で、その結果小物に凝り始めたというのが実態である。着ていく所があるのは有り難いことである。
今夜は、久しぶりに「飲み会」である。20人位集まるのだろうか。午後7時スタートで10時までとあるが、私は10時には就寝態勢に入るので、9時には失礼させてもらう。このところ風邪も引かずに健康でおられるのは、睡眠をたっぷり取って規則正しい生活をしているからで、調子に乗って羽目を外さないよう気をつけたい。明日は別の雑誌の取材が入っており、そのテーマは夫婦別姓ではない(取材はその時ではなく、後の原稿チェックが大変である)。あさっては今場所2度目の大相撲観戦だ。あれよあれよと大関が連敗して、豊昇龍・大の里もすでに3敗。琴櫻などはすでに6敗で、勝ち越しもほぼ無理であろう。彼はなぜあんな大きな体をして、小兵相手にさえ四つではなく諸手差しを狙うのだろうか。万全の四つが取れたのは照ノ富士で(もちろん白鵬もそうだった)、横綱たるもの、相撲の王道である四つで、きっちりと勝てないと話にならない。今場所は、期待の綱取り場所どころではなく、10月のロンドン公演は横綱不在かもしれないのだ。
昨日は私は大学に行っていて取り組みを見られなかったが、9日目時点で、全勝は金峰山(カザフスタン)のみ。1敗・2敗もすべて平幕であり、おそらく平幕優勝になるのではないか。3敗の大関がこの後全勝して、好調平幕が上位に当てられて負けを増やすことも考えられないではないが、上位=強い、ではないどころか、不甲斐ない大関陣であることが、大きな問題なのである。