金曜である。金曜の朝快適に目覚めたときの心地良さといったらない。明日は休みである。とにかく仕事は一区切りなのだ。美容師さんに肩が凝ってないですね、と言われるほど、私はあまりストレスがかからない性格のようで有り難いが、それでも仕事から離れた時間は必要である。というかきっちり公私を分けて、切り替えをうまくしていることが、ストレスのかからない源であるかもしれないのである。
同じ弁護士業でも自宅と事務所が兼用だとか、事務所と自宅が余りに近ければ、たぶんそうもならないのだろう。21年前に事務所を決めたとき、ついでに自宅も近くに引っ越そうかと考えたことがある。実際近所の物件を探したのだが、どこも隣にすぐビルがあるとか空が見えなそうといった具合でダメだった。港区の、リビングからレインボーブリッジが見えて寝室の窓からは空が広がるロケーションとは、しょせん同じにはならないのである。そんな折、弁護士の先輩である女性が「近いとダメだよ。ある程度離れていないと仕事をずっと引きずることになる」と助言してくれた。正解である。後にストーカー事件を扱ったとき(被害者が顧問先の関係者だったので引き受けざるをえなかった)、自宅は知られていないことで、気持ち的に楽だった。当事者は遠隔地の人でもあり、電話では事務所に押しかけると言いはしたものの実際来られることはなかった。ストーカー事件に限らず、ストレスの多い事件を抱えている弁護士は大変だと思う。
弁護士関係の雑誌は、購読をしているのは『判例時報』のみなのだが、週に何冊も配達されてくる。ドットコムなどのメールも来るし、ざっと目を通していると、結構ためになることもある。いわく、弁護士の仕事は3つある。1つ目は事件(仕事)を取ること。2つ目はその仕事を遂行すること。3つ目は報酬を取ること。なるほどね。そんな風に分けて考えたことがなかった。勤務弁護士であれば事務所から給料を貰えるが(もちろん事務所は仕事を取ってこなければならない)、それ以外であれば仕事を取ってこないことには始まらない。サラ金の過払い事件はもうとうの昔に終わってしまったし、それ以外の仕事を、例えばネットを通してのいわゆる一見さんで数を増やして引き受けても、忙しくなるだけで、それが実入りになるかと言えば、もちろんならない。だいぶ前だが、綱紀委員会で一緒になった弁護士が、時間給15000円で10時間、15万円になるが、依頼者が精神病院に入ってしまい、払ってもらえない、と言っていて、びっくりしたことがある。
国会議員を経たからであるのは間違いなく、どれだけ感謝しても感謝しきれないのだが、顧問料だけで事務所の維持費は回していけるようにする態勢である。単発の事件も紹介者を通した事件ばかりなので、報酬の取りっぱぐれを心配したことはない。私が心配していたのは唯一、仕事の遂行だったのだが、検事からあっさりと弁護士に転職した先輩男性いわく「雛形がいっぱいあるし、それは全く心配がない」。そんなに簡単かなあと思っていたが、ちょっと面倒なものは信頼できる先輩弁護士に相談をするスタンスで大丈夫やってこれたし、この20年、ほぼ思ったとおりの成果が導けている。一件、変な裁判官のお陰で敗けてしまったことがあるが(裁判は一審勝負であり、二審で覆ることはめったにない)、真っ当な裁判官に多く当たったのは僥倖だった。そうそう、昨年末、なかなか払おうとしない依頼者に初めて当たり、そう言えば昨年初めにも一件あったのを思い出した。どちらも世間的には絶対的な信頼のある職種だが、やはり人によるのだなあ。
非弁提携(弁護士法違反である)で逮捕される弁護士のニュースはよくあって驚きもしないが、先般の弁護士は86歳とあって、さすがに唖然とした。本来は悠々自適の引退生活を送るべき年齢なのだが、弁護士に年金はないし、貯蓄もないので、弁護士業にしがみついているということである。事件を依頼してくる人もいないので業者頼みの名義貸しをしているわけだ。悲しい生き方だなあ。弁護士連合会毎月発行の『自由と正義』の末尾は懲戒処分情報が載るのだが、時々元検事や元裁判官の名前に出くわす。私のかつての上司が2人載り、うち1人は3度も名前を見た。元同僚の名前も何度も見た。第一東京弁護士会の懲戒委員会に4年いたので懲戒についてはかなり詳しいが、懲戒委員会にかかる前にまずは綱紀委員会にかかる(ここはいわば検察的な立場である)ところ、そこで関係者を取り調べてほとんどの事件は落とされ、懲戒委員会に行く(裁判所に対する起訴のようなもの)のは40件に1件程度の割合に過ぎない。つまり懲戒委員会で審理されているのは、ずば抜けた非行が対象なのだが、そのほとんどは「戒告」で済む。
問題はそれ以上の「業務停止」処分である。業務停止になると受任裁判も顧問先とも手を切り、事務所の看板も落とさなければならない。一番短い1ヶ月だと、次の裁判は1ヶ月以上後だったりして辞任する要がなかったりするが、もっと長くなればそうはいかない。事実上業務が出来ないのだから、おまんまの食い上げになる。もともと困っているから変なことに手を染めたのだから、結局その停止期間中にまた何かやらかして発覚し、どんどん停止期間が長くなって(~2年)、その次は「退会命令」、究極は「除名」である。弁護士会費の滞納で退会命令になる弁護士もたくさんいる(弁護士は強制加入団体である)。たかだか100万円程度のお金を、親や知人が立て替えてくれないのか。せっかく弁護士になってこれではあまりに惨めすぎるし、そもそもこれからどうやって生きていくのか。40年前は2万人しかいなかった弁護士数が今や5万人である。事件は増えていない。年に1600人も司法試験に合格させて(私たちの頃はずっと年500人を切っていた)、その後どうやって食べていくというのか。衣食住足りて礼節を知る。弁護士になりたいという人はちゃんと今後を考えたほうが良いと思うのである。
弁護士は自由業で、飢える自由もあるが、時間など自分でやり繰りできる自由もある。そもそも社会正義に貢献できるので、素晴らしい職業であることは間違いがない。ただ、弁護士が収入の多寡を競い合うようになってはいけないと思っている。お金を稼ぎたければ弁護士ではなく、ビジネスをやればよいのである。弁護士なのにお金が目的になるのは、本末転倒である。余裕のある生活をして、余暇は体の健康、頭の鍛錬、幅広い教養を身につけることに使うべきだと思っている。法律知識だけであればAIのほうがもはや上ではないのだろうか。人間が法律を扱うということの貴重さは、人間性の裏付けがあってこそである。
先週の今日取材に応じて、原稿が送られてくるのを待っているのだが(そのために、その後もいろいろ調べた)、来ない。一昨日夕方の別の取材も私のコメントが送られてくるはずなのだが、それもまだ来ない。まあ、いいか。私が趣味として今嵌まっているのは(大相撲はもちろんだが)バッハである。バッハのインベンション2声15曲は中学生の時に弾いたので楽勝かと思いきや結構難しく、ようやく終わって3声15曲に移り、そのあとフランス組曲全6曲を終えてイギリス組曲に移っている。これが終わればパルティータか平均律に進んで、一応のピアノ(その頃ピアノはまだなかったが)楽曲をすべて終える予定である。バッハはどの楽曲も建築物のように美しく構築され、弾いていて大変心地が良い。次の時代の古典派はモーツアルト、ベートーベンと好きだが、実は私はショパン、ドビュッシーなどが好きではない。ショパンと同じロマン派でもリストはとても好きで、ことに『ラカンパネラ』や『マゼッパ』を綺麗に弾けるようになりたいと思っている。