執筆「当たり前ではない幸せをふり返り 豊かな生活に感謝の気持ちを」

 何げなくテレビをつけたら、華麗な民族衣装の少女が映っている。ベトナムの少数民族だそうだ。その部落では年に3日間、若い男女が集って見合いをするが、そのときの女性の衣装が見ものなのである。
 主人公の青年は、2年続けて失敗、今年こそは相手を見つけたいと、家族ともども願っている。簡素な家に暮らす両親もまた、そこで知り合い、一緒になった。一家で農作業に勤しむ毎日。青年は今回見事に成功、可愛い女性のハートを掴み、自転車に乗せて、家に連れ帰ってきた。皆とても幸せそうだ。放映用の出来レースの感もあるが、私もつい微笑んでしまう。
 そうなのだ。世の中にはまだまだこんな生活をしている人が大勢いるのだ。一日ただ働き、ご飯を食べ、子どもを生み育て、老いて死ぬ。それでも、戦争があることを思えば、疫病や栄養失調で死ぬことを思えば、子どもが物乞いや身売りに出されることを思えば、うんと幸せな人生なのだ。
 この国でもほんの1世紀前まで、人は生きるに精一杯だった。一握りの富裕な貴族も大名も、今の基準からすれば食事はじめすべてが質素だった。歌にいう「逢う」は文字通り、男女が会って交わること以外にはなかった。デートはない。映画館もデパートも旅行もない。そして60年前、この国は焼け野原から驚異的に復活を遂げ、高度成長期を経て急激に、何でもありの生活となった。
  この生活は、人類の歴史上、決して当たり前ではないのである。いったん当たり前になると、人は感謝を忘れ、不足を言いだす。老子いわく、「足るを知る」。世界に目をやり、先人の苦労に思いを馳せ、珍しいほどの豊かな生活を、今ひととき味わわせていただいているという感謝の気持ちを持っていたいものである。

自由民主党女性誌 『りぶる』

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