執筆「伝えられなかった感謝の言葉とともに 悔いのない人生を生きるために」

 おかげさまで、弁護士業も早や4年になる。この間、周りの人に大いに助けられてきたが、今年はとても悲しい年になった。格別お世話になった方が亡くなったのだ。
 5月に食事の約束をしていたが、入院するのでと断りが入った。その後、電話で何度か仕事の話はしたが、4ヶ月後、突然の訃報となった。
 最後にお会いしたのは3月だった。それが最後になるとは考えもしなかった。分かっていれば、どうしても言っておきたいことがあった。「本当にありがとうございました」。私がどれほど感謝をしているか、永久に伝える術はない。それが大きな悔いである。
 生老病死。人は必ずや死ぬのだが、最後の挨拶ができないことがこれほど辛いとは知らなかった。思いきって携帯電話の登録を消したとき、二度と声を聞くことのない現実の重さが、胸に押し寄せてきた。
年齢のせいだろう、私の周りにも死が増えてきた。死因は断然、癌が多い。寿命が延びた分、かかりやすくなったそうだが、若くして逝く人も珍しくはない。自覚症状が出たときにはすでに手遅れ。それどころか、検診を受けたら末期だったという話もある。
 余命あといくらと宣告されたら、私はどうするだろうか。行きたかった所に行くだけの気力があるだろうか。死に出の旅の準備を整え、周りの人にも気配りができるだろうか。否、自暴自棄になり、あたふたするだけで、とてもとても、そんなことはできそうにない。
 明日がをあることを前提に、人はその日を生きている。だがしょせん、生は有限なのである。いかに悔いなく生きるか。結局はやはり、毎日を充実して生きることしかないのだろう。
 身につまされて人生を考えた今年も、まもなく終わる。

自由民主党女性誌 『りぶる』

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