美容院には月に一度、まめに行く。そこで高級婦人雑誌が読めるのはささやかな楽しみである。
ページを捲ると、贅沢な美の世界が広がる。世界や日本の観光地、美食の数々。ブランドの宝飾品や服飾品。値段を見て、びっくりするのは毎度のことだ。宝石は千万円単位、服やバッグも百万円を超えたりする。こういうのを普通に買っている人たちがいるのよねえ。少しの羨望を、たしかに感じる。
だが、手が届かない物はしょせん仕方がない。無理をしない範囲でお洒落はできるし、反対に、お金があれば素敵に着こなせるとも限らない。まして幸せかどうかは別ものだ。幸せとは、苦労なく与えられることではなく、あと少し頑張ったら手が届く、そのために努力しようと思える状態であるからだ。
しかし、世の中には、身の丈を超えて金や物を追い求める人が、結構いる。買い物依存症の人たちの心は常に飢餓状態で、借金をしてでもブランド物を買いあさる。詐欺で稼いで、パチンコやブランド物、高級飲食店でそれこそ湯水のように使いまくっていた女もいた。出所後はまた繰り返す。俗にいう「飲む打つ買う」は、犯罪に走る三大動機である。
先日、自己破産希望の男性から法律相談を受けたのだが、唯一の趣味の競馬、職業としての投資を続けたいとのこと。それでは債務の免責はされないだろうと答えると、困りましたと言う。それこそ困った人である。
生きていく背骨に金銭感覚があると、私はずっと思っている。生き方は金の使い方に如実に表れるからだ。何にどう、いくら使うか。ケチは駄目、さりとて浪費家も駄目。相性がいい人というのは金銭感覚が合う人だということも分かってきた。
粋な人、素敵な人は金の生きる使い方を知っている。
自由民主党月刊女性誌
『りぶる』