「依頼者に騙されるな」。
これが弁護士の鉄則である。
世の中には、初めから弁護士を騙そうとかかる手合いもいるし、中には、そんな連中とぐるになる悪徳弁護士もいる。それは論外としても、弁護士は往々にして、依頼者に「騙される」。なぜか。ことは人間の本質に関わるのである。
つまり、人は誰でも、自分が可愛い。よほどの人格者でない限り、自己に不利なことはあえて言いたくはない。故意にしろ無意識にしろ、自分を庇うのが人間の性なのである。
真実は、まさに『藪の中』(芥川龍之介著。映画『羅生門』の原作)。一見単純な殺人事件でも、加害者と被害者、また関わる人によって、事実の捉え方はそれぞれだ。「真実」は神のみぞ知るが、事実は人の数だけあり、置かれた立場により、その性格により、異なる。ただ基本的に、加害者は少なめに、被害者は多めに語ることを、法律家は知っておかねばならない。人は自分が可愛く、自らがまず自らを弁護して当然なのである。
姑の口から聞くと、ひどい嫁。嫁が語ると、ひどい姑。夫が言うと悪妻で、妻が言うと、家庭を顧みない暴力的な夫……これが当たり前の形である。真実は大体において、その間にある。誰がどんな立場で話すのか。それを常に念頭において客観的に聞く力こそ、法律家に最も大切な資質である。
まずは常識人であれ。
法律云々や解釈の違いが問題になるよりはるかに多く、その前提となる「事実」が争われる。だからこそ英米は素人裁判官に事実認定を委ねるのである。
相手方及びその代理人はもともと敵対関係にある。だが、依頼者は本来同志であり、その基本に信頼関係がなくてはならず、つい甘くなる。そこに問題が生じる。依頼者にしてみれば自分を信じてくれない弁護士など頼れないから、信じる姿勢こそ崩せないが、それとは別に、裁判官的な公正な目で、客観的に見る目が不可欠である。
困ったことには、このバランスの取れない弁護士が目につくのである。依頼者の言うがままに訴訟を起こし、追行する。事実を見る力は人間を見る力であり、法律を学ぶことでは培われない。人と交わり、人の痛みを知り、自然や芸術の美しさに感動することで生まれてくる力なのである。
その基本は、人への優しさと厳しさであろう。と考えると、これはひとり法律家ではなくすべての人に通じる資質かもしれない。
自由民主党月刊女性誌
『りぶる』