先日、同い年の知人の来訪を受けた。彼女は2年前、鬱病にかかり、最近ようやく出歩けるようになったのだ。
仕事はとうにやめ、子どもはおらず、家で日がなテレビを見る毎日だという。
「何かしなくちゃいけないとは思っているのだけど、何もしたいことがないのよねえ……」。発病前も彼女は同じことを言っていた。
私の周りには、その正反対に、エネルギーに溢れた人が多い。医者だった御主人に先立たれた薬剤師の知人は、大して語学が出来るわけでもないのに、ひとりカメラを抱えてよく外国に出る。写真集を出版し、個展も開く。今年78歳だが,この春もまた、元気にトルコに出かけて行った。帰国後、個展を開くという。
人にはそれぞれ、持って生まれたエネルギー値があるのかもしれない。私のエネルギー値は、と考えると、仕事も人との交遊も好きだし、趣味もあるし、平均値よりはきっと高いのだろうと思う。
趣味のピアノは、4歳の時、母に習いに連れて行かれて以来の長い付き合いだ。
最初遊びたくて嫌がっていたが、すぐに好きになり、以後20年以上、飽きずにずっと習っていた。検事になって転勤生活となり、先生につけなくなってやめたが、それでもピアノだけはずっと持ち運んでいた。
ただ、弾かなくなって指は自然と動かなくなり、すっかり諦めていたのだが、2年半前、レッスン再開を思い立った。実に21年ぶりのレッスン! やがて、少しずつだが指はまた動くようになり、また、年輪を経た分、個々の音や音楽そのものに遙かに愛着が深くなったのが分かる。
仕事が他人のストレス肩代わり業だからこそよけいに、忘我で浸れる世界を持てることがありがたい。副次効果だが、指を動かすことほど、ぼけ防止に役立つことはないらしい。
たまたま親に習わされた楽器が好きだったのは幸運というほかはない。ふと思うことがある、もしこれがバイオリンだったらと。そうしたら、それをきっかけに音楽が身近になり、クラシック好きにはなっていただろうが、きっと続きはしなかった。もちろんバレーや日本舞踊だったらとうてい無理だった。趣味にも、仕事や人と同様、相性があり、運命のようなものがあるのだろうと思う。
最近私は、ヨガに通いだした。こちらは、「好き」からでは決してなく、加齢対策、健康を維持する必要性からなのだが。
政治家を筆頭に(?)元気な人はみな、よく食べる。あるいは、食べるから元気なのか。高齢化の時代、いつまでも心身共に元気で、年を重ねたいと思うのだ。
自由民主党月刊女性誌
『りぶる』