宮崎勤被告の死刑がようやく確定する。
日本の犯罪史上に残る、幼女誘拐・殺害事件。ビデオおたくの犯人は、わいせつ目的で女児4人(4?7歳)を言葉巧みに誘拐、即日殺害した。遺体を自室で陵辱。被害者方前に遺体の写真と遺骨を入れた段ボール箱を放置、新聞社宛にも女性名で声明文を送付した。この種快楽犯の常として彼も、人を狙う前、猫など小動物を無闇に殺していた。
死刑は当然である。
それなのに、なぜ17年を要したのか。事件発生は88?9年である。
一般に、裁判は長くかかると思われているが、実は、どんな大事件でも珍しい事件でも、被告が認めて争わなければ、せいぜい1年で済む。だが、オウムの麻原被告しかり、宮崎しかり、耳目を引く事件が長くかかるため、世間には悪いイメージが定着する。
麻原は、一審の死刑判決まで10年かかった。「実行行為者との共謀がない」として無罪を主張していたのだが、二審では精神障害も争うらしい。対する宮崎は、事実自体は争えず、終始精神障害による責任能力欠如を主張していた。
精神障害には、大きく分けて、3種ある。精神病、人格障害、知的障害だ。中で、特異残忍な事件において必ず争点になるのが「統合失調症(精神分裂病)か人格障害か」。前者は代表的な精神病であり、責任能力なしとされやすいが、後者は人格異常であり、責任能力には問題がない。かの大久保清、池田小の宅間、宮崎……すべて精神鑑定の結果人格障害とされ、死刑が決まった。
だが、社会がとうに忘れた頃に判決が出ても、感銘力が薄く、抑止効果に乏しい。裁判は迅速でなければならないのだ。日捲りのように事件が起こる昨今ではなおさらである(この最高裁判決が出た1月17日、他に小嶋の国会喚問とライブドアの捜索があった)。裁判で決して誤ってはならないのは、犯人が誰かだけではないのか。
遅延の原因は多々あるが、背景に、裁判で真実究明を極めようとの姿勢があるのは事実である。今回もマスコミは、宮崎の「心の解明」がされていないと繰り返していた。しかし、「真実は神のみぞ知る」。客観的事実はともかく、心を知るのは至難の業だ。統合失調症の原因ですら未だ不明なのだし、自分の心すらまま分からないのだから。
そして……我が国情には合わないと、私自身は大反対した裁判員制度が、3年後に施行される。裁判官3人と裁判員6人。その合議体で裁かれる殺人事件が速やかに終わらねばならないのは当然である。
自由民主党月刊女性誌
『りぶる』