執筆「国家には遺族が満足するに足りる 刑罰を科すべき責務が担わされている」

「事件が起こりすぎる」
  誰もが同じことを言う。
世間を震撼させている耐震強度偽装事件。その合間を縫うように、女児を狙う凶悪事件が続く。
  昨年11月、広島市。1週間後、栃木県。12月、京都府。前2つは、共に小一女児が下校途中、ひとりになった時を狙われた。と考えて、この走りは、一昨年11月の奈良にあったと思い起こす。やはり小一、下校途中。
あのとき、アメリカから帰国した友人が嘆息したものだ。
「今に日本でも、子どもの登下校に付き添いが必要になるよ」。
予言は、当たった。
  これら犯人には同種前科がある。奈良の新聞販売店員、広島のペルー人(栃木は現時点で未検挙だが、おそらくそうであろう)。京都の大学生にもやはり前科がある。
  人は「なくて七癖」。誤解を恐に言えば、犯罪もまた「癖」である。手癖の悪い窃盗常習犯、粗暴癖のある人、薬物嗜癖者、あるいは異常性嗜好者……。刑罰の目的は応報に加えて犯罪者の更生だが、往々にして空しいのが現実である。
  小児性愛(ペドフィリア)は、露出症やサドマゾと同様、異常性嗜好の一つである。成人女性の代替として小児を対象にする場合は別として、正真正銘の小児性愛者は、まずもって直らない。故に、「再犯のおそれ」でチェックされ、なかなか仮釈放されないが、満期になれば出所する。
  日本では全般に刑罰が軽く、被害者が殺害されて初めて無期懲役刑になりうるが、これは終身刑とは違うから、いずれ仮釈放になる。アメリカでは、殺された女児の名前にちなんだミーガン法の下、出所者の居住情報を住民に知らせているが、日本ではようやく法務省が警察に知らせるようになっただけである。もっとも自警意識の乏しい日本では知らされてもパニックが起きるであろうが。
  それにしても、と思うのだ。ご遺族の心痛たるやいかばりかと。病気でも交通事故でも、子どもの死ほど悲惨なものはない。ましてや異常性愛者の毒牙にかかっての惨殺である。娘が極限の恐怖に怯えながら、助けを求めつつ空しく絶命した現実から、遺族は終生逃れられることはない。かたや、犯人は生き続ける。死刑は、複数を殺して初めて適用されるのだ。それでも死刑は反対と言う人に、私はただこれだけを聞いてみたい。
「あなたの子どもがこのような目に遭ってもなお、死刑でなくていいのですか」。
  権利は義務を尽くしてこそある。遺族から私的報復権を取り上げた国家には、遺族が満足するに足りる刑罰を、科すべき責務が担わされているはずである。

自由民主党月刊女性誌
『りぶる』

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